カナダのワーホリが終わり、とりあえず半年間の観光ビザに切り替えましたが、思っていたように事が進まずダラダラと3か月が過ぎてしまいました。
そしてついに!
私は帰国を決意しカナダを出ることにしました。
前回▼
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帰国を決意した理由
カナダ寒すぎ問題
前回の記事に全部書いてますが、『カナダの労働ビザ取得が厳しそう』で、これ以上トロントに残る理由がなくなったことと、UKのワーホリの抽選に漏れてしまってこの先ことが思いつかず途方に暮れてしまったことが大きな理由です。
そしてぶっちゃけますと
私は12月に入国して1年滞在し、観光ビザに切り替えてもう3ヶ月滞在しました。
つまり日によっては気温が−20℃以下にもなるこの国の冬を2回経験しているわけです。
もう耐えられない!ということでカナダを出ることにしたのです。
オーストラリアのワーホリ
カナダのワーホリが終わった当時、私は28歳。
まだまだワーホリにいける歳ではありますが、もう後数年で行けなくなります。
なのでイギリスを諦めて『マックス2年いけると噂されるオーストラリア』に行こうと決めたのです。
カナダよりも人気だし、情報はたくさんあります。
そして飲食業以外の仕事(稼げると噂の工場や農業)にも興味があったので、一度オーストラリア行きを決断したらもう止まらないのです。
ということでビザの申請やオーストラリアワーホリの情報収集のため一旦日本に帰ることにしたのでした。
日本のご飯食べたい
私は今でも忘れません。
アジア4ヶ月の旅から生まれて初めての『帰国』というものを経験したときに食べたやよい軒の定食の味を…。
カナダはアジアと違って先進国です。
味噌だろうが醤油だろうがもちろんなんでも揃います。
しかしやっぱり私は日本人。
餃子の王将とか博多ラーメンとかコンビニのおにぎりとか、そういうのが恋しくなります。
しかも今回は1年3ヶ月ぶりの日本。
『日本の食べ物恋しいメーター』は完全に振り切っていたのでした。
免許の更新
日本では何故かパスポートよりも信頼されているスーパーID・免許証。
こんなに便利なものを失効させるわけには行きません。
ちょうど更新の時期だったのでこれも帰国の目的のひとつでした。
台湾でこのロン毛免許が役に立ったので今回もロン毛更新になりそうです。
親知らずを抜きたい
ニューヨーク旅行に行っている時期から親知らずが左下から斜めに生えてきて、噛み合わせが悪く少しづつ痛み出し、帰国直前にもなればほっぺたがもうガッツリ腫れていたのです。
しかしカナダで歯医者に行くととんでもない金額を請求されるとかで、帰国まで我慢することにしました。
こういった数々の理由から私は帰国を決意したのです。
トロントワーホリ1年間の振り返り
まずワーホリに行く前がダメだったんです。
まったく事前調査をせず酒を飲んでばっかりでした。
と舐めすぎてたのです。
そして初日から絶体絶命。
まずこのときの私はまったく英語を喋れないのに
と勘違いしていて、そのせいで初めての英語ネイティブ国で人生を辞めたくなるくらい落ち込んでしまいました。
とにかく大きな問題は金欠問題,英語力問題,カナダ寒い問題。
もう一回当時と同じシチュエーションでワーホリをやれと言われたら、即帰国を選びます。
そのくらいしんどかったんです。
そしてたくさんの人に助けられながらなんとか仕事探しをスタートしました。
何故か美女とふたり暮らしをする事になった話もありました。
そして苦労の末仕事をゲットした時にはもうすでに残金1万円!
そして住む家も決まりなんとか生活の基盤が出来上がりました。
しかしその職場がめちゃめちゃ忙しい店で、本当の地獄はここからだったんですね…。
でもまあ同じ人間がやってるんだから私にもできるでしょう!と自分に言い聞かせて仕事を続けたのですが、いきなりの8連休で金欠問題に追い討ちをかけられました。
しかもその連休中にポーカーで負けてほぼ一文無しになってしまいました。
さらにせっかく苦労して見つけた仕事をあっさりクビになり
と思いました。
オーナーと話し合い、めでたく仕事に復帰したあとは生活が安定し、遊びに行ったりすることもできました。
ナイアガラの滝を見に行ったり、髪をちょっと切ってみたり、TOEICテストを受けてみたり。
週1〜2回の休みは寝ることのほうが多かったです。
そして憧れだったニューヨーク旅行に行きました。
感動と興奮の連続です。
また楽しい仲間とも知り合うことができました。
そして無事トロントに戻ってきて仕事復帰したのは良かったのですが、職場のシェフが辞めてしまい、なんと料理長的なポジションを任されることになってしまったのです。
そしてついに帰国となりました。
いろいろあったようで、ほぼ仕事ばっかりだったなあと思います。
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懐かしい人たち
ブログのカナダ編には登場していないんですが、懐かしいメンバーともカナダで再会しています。
ホストくん
まずインドのゴアで会った同い年のホストくんがトロントに現れました。
アジア編のゴール・ハンピにて別れ際
と涙ぐんでおっしゃっていましたが、本当にトロントにワーホリに来たのです。
ゴアのアンジュナからハンピまで約10日間彼とともに過ごしました。宿代の節約とはいえ同じベッドで寝るほど仲良くなったのでその分お別れも辛い。
私はこのアジアの旅の後一度帰国し、カナダに行く予定なのでホスト君とカナダでの再会を誓いました。
【旅行記64】より
マジ久しぶり!元気だった!?
会えて嬉しいよ!
と再会したときに私は大感動しました。
しかしクールな彼は
くらいの感じでした。
彼がカナダに来た当初私は相変わらず過酷な労働を続けていたので、彼とはトロントで2回会っただけです。
カードちゃん
これまたインドで会った人。
旅先でカードを盗まれた油断しまくり隙だらけの彼女とはデリーで会ったのですが、あれから約7か月ほどで世界一周をして「最後の国がカナダだから」と連絡をくれたのです。
コルカタからインドに入国したのは5日前で我々とほぼ変わりません。
しかし彼女のこの5日間でデリーに着くまでは我々よりもはるかに壮絶であると言えます。
- コルカタから入国、話しかけてきたインド人に言われるがままついていく
- バラナシに行きたかったのに怪しいインド人についていって気付いたらプリーにいた(逆方面)
- 仕方ないのでプリーに滞在していたら怪しいインド人の家に泊まらされる
- セクハラが過ぎるのでコルカタに戻り飛行機でデリーに移動を決意
- コルカタでタクシー移動の途中でATMに寄り、ドライバーに使い方を聞いて暗証番号を教えてしまう
- カードを持って逃げられてそのまま約13万ルピー(約20万円)使われてしまう
- 今にいたる(笑っている)
この話を聞いたとき
と発言してしまったくらいアホだなあと思いました。
【旅行記53】より
トロントのBloor×Yonge のスタバで待ち合わせをしたのですが、相変わらず隙だらけの彼女は『ヤバそうな黒人3人』にかこまれていました。
お久しぶりです♡
すごい良い人たち♡
アジアで知り合った人と大陸を超えて再会するというのはとても感慨深いものでして、お互いの変化や成長が大きく見られます。
そしてバックパッカーならでは、一旦別れてから再会するまでの間お互い違う国を冒険して来ているのでそういった話が聞けるのも楽しい限りです。
バックパッカーは死にかけた人多いですね。
カナダでの大きな出会い
カナダで会って日本でも会ってる人
カナダ編でよく登場した2人ですが、この2人とは今でも連絡を取り続けています。
特に伊達さんはとはカナダ以降もちょいちょい会っています。
料理人の大阪さん。
カナダではともにホームパーティを成功させました。
大阪さんは地元大阪で店をはじめたので、大阪に行ったときには会いに行きます。
おそらくこの3人とはこれからも長い付き合いになると思うし、そういった人たちと出会えただけでもカナダに行ってよかったなあとつくづく思います。
出会いがすべて?
海外生活は『出会いがすべて』です。
1年間カナダに住んでそれは『バックパッカー旅行だけではない』と確信しました。
言葉、文化、気候、ルールや決まりごと、その他多くのことが日本と違う中で生活をするというのは本当に過酷でツラいものです。
しかしそういう時に同じ目線で語り合い、助け合う仲間がいれば決して野垂れ死ぬことは無いし、むしろ良い方向に進んでいけると思っています。
伸びます。
めっちゃ伸びます。
なぜかというと、トロントではほぼ仕事ばっかりで日本人とつるんでない時間のほうが多かったからです。
友達は間違いなくできます。
『極限状態』に達したら人は誰かを頼るしかないのです。
そもそも私は根暗のビビリでヘタれ人間です。
多くの人と出会いいろんなことがあった1年3か月。
私にとって2014年は得るものが多かった年です。
カナダを出てからもまだまだアホな旅は続きますが、この1年3か月が今後の海外生活に大きく役立つことにはもちろんこの当時気づいていません。
しかしカナダで得た特殊能力である『英語力』と『仕事探しの術』は、今後の海外生活に大きく役立つのです。
そしてたくさんの人に助けられ、過酷な状況からなんとか復活できたことは私にとって「自信」となりました。
最後に一言
ワーホリに行く前には最低限の準備と貯金をしましょう!
マジでこれだけです。
最後は親友でんじろうに見送られてトロントピアソン空港から出国であります。
カナダ編おしまい
カナダ・トロント
1年間のワーホリ生活
終了
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