アジアでの怒涛の4ヶ月間の旅を終え帰国しました。
日本での数週間の準備期間(何も準備してないけど)を設け、ついにカナダへ飛び立ちます。
- 人生初の英語圏
- 人生初のアメリカ大陸
- 人生初の海外での労働
成田からトロントへ向かう機内では「ドバドバと溢れ出るワクワク感」と「絶対金を稼いでやる!という闘争心」でやる気に満ち溢れていました。
直近のアジア4ヵ月間で身につけた特殊能力である英会話がどこまで通用するのかを試してみたかったし
という「尋常じゃない向上心」であろうことか機内で英単語などを勉強したりしました。
しかし…!
入国と同時に私のやる気は一気になくなり絶望するのです。
どうやらペラペラなのは私の英語ではなく、寒さをしのぐ気のない日本から持ってきたジャケットだけだったようです。
前回で書いた通り、私は完全にワーホリというものをナメていました。
今回は英語力の無さと寒さで生命の危機を感じてしまったカナダ初日の話。
前回▼
[2013年12月2日]
成田空港からエアカナダでカナダ最大の都市・トロントへ向かいました。
日本との時差は14時間。
フライトの時間は約13時間。
その日成田を出発した時間と同じ時間に着くという不思議な体験をしたところで
トロントピアソン国際空港に到着しました。
18時に出て18時ちょい前に着きました。
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CONTENTS
入国審査で2時間?英語分からなすぎて大苦戦
カナダのワーホリビザ
ご存知の通り私はアホなのでカナダのワーホリビザについて良く知りませんでした。
カナダのワーホリビザは、実はアライバルビザです。
※アライバルビザとは現地到着後に申請取得するビザ
【旅行記0】であれほど苦労してやっと取得できたたものはカナダのワーホリビザではなく、現地で『カナダのワーホリビザを申請していいヤツ(許可証)』だったのです。
とはいってもそんなに難しくはありません。
少し複雑ではありますが、要はビザ申請後に届いた書類をプリントアウトして、入国審査で見せて、ビザ管理室のような場所でワーホリビザを発給してもらえば良いだけの話なんです。
しかし前回の話の通り私は事前調査を完全に怠っていたので
と勘違いしていました。
加えて人生初の先進国への入国ということと、英語力の乏しさでなんと入国に2時間もかかってしまったのであります。
無知な私は入国審査で大苦戦
3ヶ月です
観光ビザを持ってたとしても6ヶ月です
何かビザ持ってますか?
ん~…yeah yeah
やっぱyeahじゃない!
私ワークビザ持ってます!
このとき私は『ワークビザ』と『ワーキングホリデービザ』が大きく違うことを知らず、とっさのことでワークビザと発言してしまいました。(ワーキングホリデーという言葉が長いから)
ここで私はワーホリビザだと思っていた「ワーホリビザ申請の許可証」を提出しました。
パスポートには何もないけど?
本当にワークビザあるの?
どこにその会社はある?
日本では何の仕事してる?
年収は?
あと貯金の残高はどれくらい?
なんてプライベートなことを聞いてくるんだ!
と当時は思いましたが先進国なので当たり前のことです。
移民を多く受け入れているカナダでも、もちろん『外国人不法労働者』に厳しいわけであります。
しかしそれまでアジアしか知らなかった私は
と思っていたので、予想だにしない質問責めに大苦戦してしまうのです。
ほらこれ見て!
ビザビザ!
ちょっとあの人について行ってくれる?
銀行の残高を聞かれるなんて思っていなかったアホな私は正直に10万円だと答えてしまい、貧乏人認定!
結局別室でかなり待たされたあと
▼
荷物を全て調べられ
▼
そのあと再度イミグレーションに並び直し
▼
今日からワーホリをスタートすることを改めて伝え
▼
ビザ室に移動して…
なんとかワーホリビザをゲットして入国できたのであります。
あとで気づきますがこれは入国審査官の姉さんのただの意地悪です。
あ~今日からワーホリスタートするのね?
じゃああっちの部屋に行って手続きしにいってね~
とすんなりやってくれればなんの問題もなかったのであります。
もしくは事前に調べておけば
この紙がそのあれです!
みたいな感じでスッと言えたはずなのです。
これに気づいていればなんてことなかったのに、最終的に入国出来たのは2時間後の20時でした。
アジアを旅して英語風のものを喋って良い気になっていた私は、あまりの情け無さに完全に自信をなくしてしまうのでした。
夜のカナダは大吹雪!−20℃の世界
2013年12月トロントは大寒波
北米大陸では2013年12月上旬と下旬、2014年1月上旬に強い寒波の影響を受け、各地で顕著な低温が記録され、低温や強風による被害が発生しました。
12月上旬にカナダから米国の広い範囲で気温が平年より低くなり、米国北部のモンタナ州やワイオミング州では平年より10℃以上低い気温となりました。
米国イリノイ州のシカゴでは、12月12日頃、12月24日頃、1月6日頃に著しく気温が低下し、1月6日の日最低気温は-26℃を下回りました。
米国ミネソタ州のミネアポリス・セントポール国際空港では、1月6日の日最低気温が-30℃を下回りました。
この年、主にアメリカで大きな被害があったようですが、当時カナダでも『40年ぶりの大寒波』と大きく騒がれていました。
しかしそんなことなど全く知らないガリガリロン毛の日本人バックパッカーは、完全にカナダの冬を舐め切った格好で入国したのであります。
-20℃に革ジャンのみで挑む
無事?入国審査を終えいつものバックパックを回収し、とりあえずATMでお金をおろして空港の高いコーヒーを買いました。
最近までいたインドではコーヒーなど30円くらいで飲んでいたので、$3.5の『先進国空港価格コーヒー』は非常に高く感じます。
そして着いたばかりで電車やトラムの乗り方も全く分からない私は、とりあえず街の中心まで行けるエアポートエクスプレスのバスのチケットを買いに行きました。
※2014年10月31日で運行が終了
※ほんとは$3でダウンタウンまで行けます。アホな私は知らなかった。
しかし!
私はコーヒーやバスの値段への驚きよりもバス乗り場、つまり『外の気温』にド肝を抜かれました。
知ってますよ!もちろん知ってました!
カナダが寒いってことくらい知ってます!
しかし人間が予想できる物事のほとんどは、それまで自分が経験した範囲内までしか考えが及ばないのです。
日本で私が経験したことのある一番の寒さなどせいぜい−5℃程度。
方やその日の空港の気温表示は
気温−14℃
体感温度−22℃
バスチケットを買い次第、バスの時間まで空港内に再度避難したのでした。
※カナダでは外気温と体感気温を表示しています。
冬のカナダを舐めきった私の服装はこちら
バンドマン時代に着ていたペラペラの
ロックンローラー風レザージャケット
寒さを防ぐ気全く無しの
薄いロンT
足が細過ぎてスキニーになってない
ロックンローラー風スキニーパンツ
油断して雪を踏めば確実に転倒するであろう
ロックンローラーが履いてる革靴
どっかで買った
謎のニット帽
風向きのまま冷え固まる
固定されたロン毛
アジアにいるときはTシャツ、短パン、ビーサンのみだったので
と思って日本で準備してきたものがこれであります。
アホです!アホ過ぎます!
日本で私は全く準備に力を入れておらず、実家にあったものを10分くらいでテキトーに選んできたのです。
これだけは言えます!
どれだけ荷物が増えようが
あなたがロックンローラーだろうが
おしゃれ泥棒であろうが
カナダに行くときは『めっちゃ分厚いジャケット』を持って行くべきです!
人々は 「暑くて死にそう”」と夏場によく発言しますが、実際死にいたるほどではありません。
しかし、寒さはマジでヤバいです。
マジで生命の危機を感じた次第であります。
冷凍マグロをご存知でしょうか。
マグロは色が黒く変わるため-3℃から-7℃の温度が一番良くないとされており,それよりもずっと低い温度で保管されています。
昔私が働いていた和食店のマグロのストック用冷蔵庫は-20℃。
つまり冬のカナダの夜に外に出る行為はマグロ用の冷凍庫に閉じ込められているようなものであります!
バスから降りたあと、数分で冷えてしまった高いコーヒーとパンパンのデカいバックパックを持ち、私はこれまでに経験したことのない寒さをメンタルのみでカバーしながら予約していたホステルへ歩いて向かうのでした。
私の英語力の乏しさを再確認し、準備を怠ったことを悔やみながら気分は最悪の状態でカナダの初日は終わったのであります。
雪の上を歩けるブーツ的なものをを買わなければ!
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