彼女であるシズちゃんとスタートしたオーストラリアのワーホリ。
しかし些細なことから彼女にフラれた私。
その続きの話と私が考えたこと。
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ここにきておしんぽこがフラれた理由
mateという単語を彼女に使用したくらいで別れを切り出されるはずはありません。
“私ってシン君のmateなの?”
その一件はただの確認作業に過ぎないのです。
フラれた原因は2つあると私は思いました。
1つ目はシドニーでの大きなすれ違いによる、彼女にとっては絶対忘れられそうもない1ヵ月間の嫌な記憶です。
この件に関しては私としてもとても愚かであったと反省しています。
彼女とブリスベン空港で最後に会ったとき私は一瞬このことを思い出し、ついさっきまでニコニコしていた彼女が泣きながら空港を出ていくのを見て「もう会ってくれないんじゃないか?」と頭をよぎりました。
また別れるとまでは決めていないにしろ、このアホなバックパッカーとはもう長くないだろうなぁと彼女はうっすら感じていたのかもしれません。
2つ目は年齢です。
要は彼女はもうお年頃、私を結婚相手として相応しくないと判断したのだろうと思います。
シズちゃんと出会って付き合い始めたあたりのブログ記事で書いていなかったこと。
▲この時はあまりにもぼんやりとした表現でごまかしたように書きましたが、要はセックスから始まった恋愛であります。
側から見れば、
といった感じでしょう。
そもそも私の下心から始まったものなのでその通りなんですが、きっかけは何であれ我々は自分達が思っていた以上に深い関係になってしまったのです。
ですが付き合い始める前に私が彼女に向かって発言した、ブログでは書いていなかったことがあります。
でも私は将来結婚したくないし子供も欲しくない
それでもいいなら付き合おう
当時私は28歳でシズちゃんは29歳でした。
私はシン君が好きだからそれでもいい
彼女にして下さい
と彼女は言いましたがぶっちゃけそんなわけないじゃないですか?
彼女は子供が好きだし、ちょいちょい結婚したそうな所もよく見受けられました。
つまり私は本心で彼女は嘘であったと私は思います。
そして付き合い始めて8ヵ月間自分の横にいる男を見てきて
と気づいたタイミングが今だったのではないかと思いました。
近くにいる事の大切さと仲間
シズちゃんとは約1時間ほど話をしました。
ミートファクトリーでの仕事のあとに、電話で別れと新しい彼氏の存在を告げられた私は、いつもなら音楽を爆音で流しながらの熱唱運転なのに、無音であることにすらまったく気付かずに宿へ帰ります。
一緒に終わったのに随分遅かったね?
さっき彼女に電話でフラれまして…
ラムあるで!ラム!
羊やなくて酒のラムやで!
ラム飲みなはれ!
グスッ…!
大丈夫か…(涙目)
へこでんの?
話聞かせてよ
優しいなぁ…
ワンダーインの仲間達と会うと元気が出ます。
しかしどうも引っかかるのです。
まずい!
これはたいへんお恥ずかしい!
なんか彼女にふられてめちゃめちゃへこんでいる人みたいな扱われ方をしていませんか⁉︎
私は勇敢なる冒険者・バックパッカーである!
ひとりの女にフラれたくらいで落ち込むようなやわな男ではありませんぞ!
へ、へこんでないし!
へこんでない!
へこんでない!
へこんで…
もはや家族や彼女よりも長い時間一緒にいる彼ら。
日を追うごとに仲が良くなり、もうみんないい大人なのに青春ドラマさながら友情は深まっていく一方であります。
たとえ仕事が見つからなかったとしても、地獄の労働を強いられたとしても、何があっても彼らと顔を合わせるとストレスが吹っ飛ぶほどに居心地の良さを感じるのです。
彼らを見て人が「毎日顔を合わせることの大切さ」に気づき、もしシズちゃんと別行動をとっていなければ別れることも無かったのかな?と、彼らを見て思った次第であります。
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バックパッカーの失恋の先にあったものとは?
これは客観視しないと言い切れないことかも知れませんが、
私は失恋をしたところで自分の全て(感情や考え方や生活等)を揺さぶられて、深酒したり自傷したり世界の中心で愛を叫びに行ったりするような俗に言う「恋愛体質」のような人間ではありません。
こんなブログを書いてる時点でどうなんだという話ですが…。
ただ海外生活者として生活する上で、シズちゃんは「何かを判断する時の1本の軸」であった事は間違いありません。
そして彼女を失った今
“私はなんでうんこまみれになりながらここまで頑張って仕事をしてるんだ?”
と思うわけです。
もちろんセカンドビザのためですが、じゃあもう彼女はいないのにそのビザでどこで何をどうするの?
となった時にやっぱり
と考え込んでしまいます。
年単位で計画を立てて世界を周る「旅人」と言われる人達のようなしっかりとしたバックパッカーではない私は、移動先に関しては1個か2個先くらいまでのことしか考えられません。
そしてその1個先が彼女と再会する場所だったのであります。
「バックパッカー世界旅行記・おしんぽころぐ」
を読んでいる人、もう気付いてると思います。
こいつバックパッカーじゃねぇな?
いろんな国に行っていろんな観光地に行っていろんな文化に触れて…
ハッキリ言って私はそんな感じのバックパッカーではありません。
彼らを心から尊敬するし、憧れているし、出来ることなら私もそうありたかったけれど、
やっぱり自己管理の甘さや観光への興味の薄さが私をまともなバックパッカーにはしてくれませんでした。
このバックパッカー旅行が始まったの2013年7月で今書いているのは2016年3月のこと。
海外生活を始めて間も無く3年が経とうとしているのにこの有様です。
さらに彼女という生活の軸を失った今、私はどこへ行けばいいのかまったく分からなくてなってしまったのであります。
もはやこうなると根本の部分を考えざるを得ません。
そもそもなぜ私はこうやって海外生活を始めたのか?
しかし今読み返してみるとなんとも薄っぺらいし、まあまあカッコつけています。
なぜ海外生活が始まったのか?
その理由は
- 日本社会からの逃げ
- 人と違う事をしたい
この2つのフュージョンであると今なら断言できます。
そもそも昔から社会不適合者に近かったなと大人になってからよく思うのですが、何がそうさせるのかというと「一般的でない物事やライフスタイルへの圧倒的な興味」であります。
そして26歳の時に出したその究極の答えが海外生活だったのではないかと思いました。
海外の絶景や文化への興味ではありません。
「海外生活という誰しもがやっていないマイノリティ」になってみたいという興味です。
しかし現実はそうではありませんでした。
まず、世界中に日本人はゴロゴロいたのです。
さらに海外生活を始めてから何年も経ち、貧困国の経済成長による治安の好転、LCCの増加、ネットの目まぐるしい発達によりもはや海外にいることなど何のアドバンテージにもならない時代になってしまいました。
そういった現実がより私を「旅人」から遠ざけるのであります。
かと言ってほんとのほんとのマイノリティになるにはもはや「マウンテンゴリラとタイマンやってみた」とか「うんこ食べてみた」みたいなことじゃないとそうはなれないし、私も別にそこまでではないのです。
シズちゃんと別れたという一件は私の海外生活について考え直すきっかけとなりました。
そしてその答えは意外にも早く見つかりました。
その話は何個か先であります。
▼その何個か先の話▼
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シズちゃんのその後
それから数週間後、シズちゃんから電話がかかってきてまたもや泣いています。
彼がねせっかくお弁当作ったのに食べてくれないの…
すごい口悪いし…
暴力も…
ちょっと待って!
そんなやつより優しいおしんぽこの方が良くないかい⁉︎
と言いかけましたが、それでは
そんなやつやめて私と元にお戻りなさいよ!
と言っているようなものなのでやめました。
彼女もまた試行錯誤の人生を送っています。
私と再会して同じことを繰り返すより、新しい角度からものを見て彼女の答えを出して欲しいものです。
そして時は経ち現在。
私はシズちゃんに感謝したい。
あの時(シドニー)の私の無礼を一瞬で許してくれた事。
こんなにガッツリブログに登場させる事を許してくれた事。
当時の面白ネタを思い出してブログ用に提供してくれた事。
絵は少し可愛く描いていたつもりです。
結婚おめでとうございます。
(これ最終回じゃないですよ)
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