群馬の神・グンマさんと2日間ペナンを歩きまわり、バンコクでの再会を誓いました。

そして楽しかったペナン島を去りこれからバックパッカーの聖地・バンコクへ向かいます。
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どうしてこうなった!?

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Butterworth – バタワースで2時間潰す
ゲジマユカナディアン

ここはペナンからフェリーで海を渡ってすぐの、何もない田舎町バターワース。
フェリーを降りてすぐのところにマレー鉄道の駅があります。
シンガポールからここまでバスだけで来たのですが
という思いからバンコクまでは電車で行ってみることにしました。
駅に行くとそこはバックパッカーだらけ!
チケット売り場も大行列です。
私の番まであとひとりというところで、私の前にいるゲジ眉のやつが綺麗な発音の英語で受付スタッフと揉めています。
どうやら寝台列車の上の席と下の席で値段が違うこと(8RM約220円の差)に対して文句を言っているようです。

はよせんかい
と思っているとゲジ眉はこっちを振り返り、そのハンパじゃない毛量の眉毛を上下にピクピクさせながら
みたいな顔をしています。
そして私の番がきました。
さっきのやつでLower売り切れたよ
Upperで
ゲジ眉はニヤニヤしながら私を見てこう言います。
ムカつくやつやな!
バックパックにカナダの国旗が刺繍されているので『ゲジマユカナディアン』と名付けました。
チケットを購入してひと安心ですが、まだ出発まで2時間以上あります。
その場の地面で寝る欧米人バックパッカー
何でもないそこらへんの木とか車の写真を撮る中国人おばちゃん
バックパックのブランドについて熱く語る日本人大学生風のバックパッカーなど
たくさんの旅行者が一同に集まるこの駅では何もすることがありません。
とりあえず飲みものを買って日陰で飲んでいると先ほどのゲジマユが話しかけてきました。
チケットごめんね~ひゃっはっは!
別にいいっすよ何でも
それはもう壮絶な旅でね…ペラペラ
クアラルンプールからバターワースまでが壮絶な旅だったの?
お腹は壊すしタクシーの運転なんか遠回りしてぼったくろうと…ペラペラ
(3日目だけど?)
ヤバい!たった3日間の出来事の話を聞かされようとしている!
しかもクアラルンプールからバターワースまでで3日だとほぼただの移動!
小学校1年生くらいの子供が学校で起きたことをオチもなくただただ話し続けるのを聞かされるようなもの!
絶対に面白くないぞこれ!
旅は出会いだ!
話しようぜ man?

ローカル過ぎるレストラン
私はウザすぎるゲジ眉カナディアンから立ち去り、2時間という膨大な時間を潰すためにローカルバスに20分くらい乗ってテキトーなところで降りてみました。
するとそこは『右サイドジャングル左サイド住宅地』という旅行者が絶対に立ち寄らないような場所に来てしまいました。
結構人が歩いているのですが
何しに来たん?
みたいな顔でジロジロ見られます。
そこらへんの英語の通じないおじさんに『お腹空いてますジェスチャー』を見せてみると、おじさんは笑顔で謎の食堂に連れていってくれました。
と思ってしまうくらいズタボロで半壊のコンクリートの場所で大勢の現地民の人達が食事をしています。
私はその親切なおじさんと一緒に座り、メニューが無いのでおじさん任せで食事を注文してみました。
出て来たのは謎の肉入りカレーと米。
手裏剣でも食ってんのかな?
痛みを感じるほどの辛さのマレーシアカレーを完食して、おじさんの分も払おうとしたのですが英語がまったく通じません。
結局自分の分だけ払っておじさんは何も払うことなく私とともに外に出ました。
(もともと外だけど)
そして駅に戻るバスが来たので乗り込むのですが、最後までなぜか見送りしてくれるおじさん。
そしてバスの窓の外から手を合わせて『ごちそう様ポーズ』
ん?
これはもしや….

丸一日寝台列車の旅
あっさり出国あっさり入国
駅に戻ると出発30分前。
ゲジ眉は相変わらず人に話しかけてウザがられています。
そしてついに乗車!
私の席は向かって右側、私とタイ人家族の息子と思われる15歳くらいの少年、左サイドには母と小さい子供です。
これからこの電車に20時間乗ります。
ギャーギャー騒ぐやつもいないし変なニオイもしないしiPhoneも充電できるので快適っちゃ快適なんですが、少々エアコンが効き過ぎています。
台湾で長袖という長袖をすべて捨ててしまったので羽織るものをひとつも持っていません。
しかし耐えられないこともないレベルなので、Tシャツに手足全部を入れた状態でなんとか凌ぎました。
笑われても気にしませんよ!寒いんだから!
数時間後電車は止まり全員一斉に出入国審査です。
外は逆に灼熱でこれはこれでキツいです。
なんでみんな
みたいな顔をしてるんだろう?
暑いだの寒いだの私がわがままなだけでしょうか?
と考えている間にあっさりとタイに入国しました。
本気出せばなんでも出来るOSMシステム作動
21時ごろになると乗務員がテーブルや椅子を畳んだり広げたりして、なんとそれがベッドに大変身するようです。
夜になっても蒸し暑い東南アジア。
エアコンはずっと同じ勢いで音を立てて送風しまくりです。
昼間は▲のスタイルでなんとか耐えることができました。
しかし夜は違います!
この私マジで命の危険を感じました!
私は上の寝台でエアコンの風がモロにかかる場所だったので、カーテンがあると言えどダイレクトに冷風を浴び続けるのです。
防寒できる物といえば付属のペラッペラのシーツとたわしのような肌触りのゴワゴワバスタオルのみ。
こんなもの何の役にも立ちません!
時間が経つともう私の全身の皮膚で体温を保っている場所は無く、完全に冷え固まってしまっているのです!
ほんとにヤバいかも
…しれ…な…
……
……
……
私はこんな所でくたばるわけにはいかない!
明日も生きなければならない!
なぜならバックパッカーだからだ!
もうここまできたら極限状態。
命さえ助かれば見た目、寝心地、Tシャツの伸び具合など取るに足らないこと。
ついに私は禁じられた秘技「OSMシステム」を作動することを決意!
(Oshinpoko Sleeping in Malayan railways)
- まずは下に引かれたマットを立てかけ冷風を防御
- 枕でマットを固定、それをバックパックで固定
- ありったけのTシャツを着て胸板が厚い人みたいな状態になる
- 一番下のTシャツをフードにする
- 下にも残ったTシャツを履く
- いつか使うかも?と1足だけとっておいた靴下を履く

この状態からゴワゴワバスタオルとペラッペラシーツでミノムシ状態になり、最後にバックパックを枕にして朝を待ちました。
[次の日]
寒すぎて全然寝付けなかった私は、乗務員に起こされてやっと目を覚ました。
よかった…生きてた…ほんとに良かった…
もうすでに私以外のほぼ全部の乗客の寝台は畳まれていて、またもとのテーブルと椅子の状態に戻っていました。
私があまりにも起きてこないため、乗務員さんは待ちきれず私の寝台のカーテンを全開にして起こしに来たのです。
私はOSMシステムを作動させたまま寝ていたのでたいへん恥ずかしい思いをしたのは言うまでもありません。
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さよならマレーシア

バンコクに近づくにつれて少しずつ風景が変わってきました。
タイとマレーシア。
経済的なところはどっちがどうとか詳しくは知りませんが、マレーシア側と違うのはタイはゴミや野良犬やぼろぼろの家が圧倒的に多いこと。
「治安悪そうだなぁ」「怖いなぁ」という気持ちよりも「どんな所なんだろう」という気持ちの方が強いです。
植民地支配時代に東南アジアで唯一独立を守り抜いた王国。
これまでの国とひと味違うことは明らかです。
車内の寒さでの尋常じゃないほどの頭痛は
と言い聞かせてついにバンコクのホワランポーン駅に到着です。
マレーシア編おしまい
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