タイのバンコク、カオサンロードからサラ髪君とパツ子ちゃんと3人でカンボジアのシェムリアップまで陸路で移動しました。
国境手前でぼったくり
国境でもぼったくり
そして嘘ばっかりの案内に気分の悪い日から一夜明け、有名観光地アンコールワットに行く計画を立てるが大苦戦!
まだ一切観光していないのに
「もう2度と来ない宣言」
しちゃった我々。
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CONTENTS
カンボジアという国
歴史
70年代にベトナム戦争に巻き込まれて大量に国民が死にました。
その後ポル・ポトさんというマジでヤバい人がカンボジアの国のトップに立ち、国民を大量虐殺しました。
どんな人が殺されたのか?
簡単にいうと頭がいい大人です。
教師、医者、宗教家、坊さん、またカンボジア国外で学ぶ自国民を帰国させてまで徹底的に殺しまくり、わずか3~4年のうちに300万人のカンボジア人が殺されてます。
しかも反乱を想定し、大人の兵隊を使うことなく子供を洗脳して子供に処刑をさせていました。
現在カンボジアの平均年齢は25歳。
みんな若いんです。
そんな歴史がつい50年前にあったということは、それはもうかなり歪んだ国民性になるはずです。
可哀想?カンボジアのために何かできることを?
そんなことを言ってる人が多すぎるから彼らは海外からの支援に甘えっぱなしで、進歩や発展がないのであります。
民度の低さに呆れる
海外の人のイメージで『陽気で明るい』というものがあります。
『会ったばかりなのに仲良くしてくれて元気いっぱい』みたいな。
これって凄くポジティブなことなんですが、言い換えると『馴れ馴れしくて無礼で無責任』とも言えます。
カンボジアに来たときはこれを強く感じました。
ねぇこれ買わない?
※〇〇〇〇には下品な表現がはいります
つまりどういうことかというと、金を落とさない日本人はどうだっていいということ。
フレンドリー?優しい?
そして他の国のそういう人達とは違い、感情が見えません。
バレバレの作り笑顔とサービス。
しかし金を払った後はもうどうでもいいような態度。
観光産業で成り立ってんだからそこらへんからどうにかしないといけないという発想は無いのでしょう。
カンボジア通貨
カンボジアでは基本的にUSドルで生活します。
しかし実はカンボジアオリジナル通貨のリエルというものが存在していて
『1USドル=4000リエル』です。
これがかなりめんどくさいやつで、ローカルな場所でものを買うと5000リエルだったりするんです。
すると1.25ドルなわけですが、もちろんそんな端数は持ち合わせていないので、2ドルで支払います。
すると
て必ず言ってくるんですね。
最初は85セントくらい別にいいかな?と思っていたのですが、日々少しずつそれにムカつくようになります。
と言って去ろうとすると
と言ってボロボロのリエルで返されます。
そしてこのめんどくさいリエルが貯まってしまうと最悪で、違う国に行った時には全く使い物にならないただのボロい紙になります。
すぐトゥクトゥク
彼らトゥクトゥクドライバーはとにかく
と息をするように言ってきます。
なぜなら人が乗り物に乗るときというのはシンプルに『乗りたい時』
あれ?トゥクトゥク来た!
トゥクトゥクでものるか~!
って人は絶対にいないのです。
私が笑えたカンボジアでのトゥクトゥク営業のタイミングベスト3
第3位
トゥクトゥクを降りた瞬間
サラ髪君とパツ子ちゃんと3人でトゥクトゥクに乗り、目的地に着きました。
そして降りてお金を払おうとした瞬間別のトゥクトゥクが寄ってきて
いや見たら分かるやん?
降りたばっかりやん?
第2位
レストランで食事中
屋台じゃないです。
室内にあるカフェのような飲食店で私はひとりでサンドイッチを食べていました。
まだ食べ始めたばかり。
サブウェイみたいなバゲットタイプのサンドイッチなので「あっあの人食べ始めだね!」と見たらすぐ分かるやつです。
ふと窓の外を見るとトゥクトゥクドライバーとばっちり目が合いました。
その瞬間!
彼は目を丸くして、あたかも大チャンス到来!かのように
絶対乗らないじゃないですか?
まだ私が食べ始めだったのはドライバーにも分かるはず。
もちろん外からなので中にいる私には聞こえませんが、トゥクトゥクという言葉は全部 『う行』なので唇の形で分かりました。
私は読唇術でトゥクトゥクを読んだのです。
第1位
自転車に乗っている時
カンボジア最終日私は自転車に乗ったのですが、向かい側からトゥクトゥクが近づいてきて、すれ違いざまに
最初のトゥクしか聞こえませんでした。
これはさまざまな疑問点が浮かび上がります。
- すでに移動手段のある私が乗るとでも思ったのか?
- もしこのタイミングで私が乗りますと言っていたら彼はトゥクトゥクを停めたのか?
- 絶対にトゥクトゥクに乗るはずのないこの自転車はどうするつもりなのか?
おそらくトゥクトゥク業界のセミナーみたいなやつで『日本人を見つけたらとりあえずこれを実践するだけで月収〇〇ドル』みたいなノウハウがあるのでしょう。
丸一日かかってやっと見つけた日本人宿
ベンメリアツアーの署名をしに行く
アンコールワットに並ぶほどの有名観光地ベンメリア。
ベンメリアに行くためには『メンバーを募ってバスを借り、観光に行くのがいい!』と我々の情報担当パツ子ちゃんが調べてきました。
ヤマトという宿があるのですが、そこに日本人が大勢溜まっているらしく、そこのツアー名簿に名前を書きにいくというミッションが課されました。
ネットを使える場所が全然ない
3人がかりで調べまくってもなぜかはっきりとした位置がつかめませんでした。
GoogleMapsで検索しても、ネットで調べた住所を調べてもなかなか分かりません。
ということでなんとなくこのへんだろういう所に着いたのですが…
というくらいのただの草原についてしまいました。
トゥクトゥクドライバーに言っても全然辿りつけないのです。
ということでWi-Fiが使えそうな場所を探すのですがこれまた見つかりません。
Wi-Fi探しだけで2〜3時間かかってそれでも見つかりません。
朝から動いてもう夕方。
行った場所はゴルフ場風の草原のみです。
ということでサラ髪君が泊まっていた宿に戻ったのですが停電でWi-Fi使えず。
こうなったらお得意の聞き込み大作戦であります。
とまた街の中心部に出ました。
大雨でシェムリアップの街は海と化す
[17:00]
日本人宿を探してベンメリアツアーのメンバーに署名するだけというミッションを丸一日かかってもクリアできないため、今度は日本人探しを始めたのですが、アジア特有のハンパじゃない大スコールが降ってきたのです。
と雨宿りすること2時間。
やっと雨が上がった頃には冗談抜きで泳げるレベルの冠水。
水捌けの悪すぎるこの街は2時間も雨が降ると水の逃げ場がなく、雨水、川水、排水、下水、が全部ミックスされ、ゴミと共に街中が膝まで浸かる恐ろしい事態になります。
と諦めモード。
しかし逆境を楽しむ三井寿タイプのサラ髪君は
となぜか楽しそう。
決死の聞き込みを続け、ついに日本人宿・ヤマトに到着したのは20時。
なんとか2日後のバスメンバーに入ることができたのです。
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パブストリート
50セントビール
この日は結局ヤマトを見つけるだけで1日が潰れてしまい、何もカンボジアっぽいことをしていません。
前日の過酷な陸路移動の事もあり
ということで有名なパブストリートに行ってみました。
なんとビールが50セントという破格の安さ。
ということで結構高めですがまあまあ美味しいピザ屋に入ってカンボジアにイタリアの風を吹かせながらのディナーとなりました。
停電再び
楽しみ始めたのもつかの間、入店20分後ピザを食べ始めた瞬間に街全部が一気に停電しました。
マジで全部です。
大きな建物の3階にあるレストランにいた我々は外を見て度肝を抜かれました。
ついさっきまでギラギラだったシェムリアップの繁華街が一瞬にして真っ暗になってしまったのです。
お店の人は慣れているのか
みたいな顔です。
明かりがついているのは停電に備えて自家発電的なものを用意してたっぽいお店のみ。
遠くのその店からからカンナムスタイルが鳴るだけで、BGMと人の話し声だけという異様な雰囲気の中お会計して解散しました。
帰り道にド迷い&大雨再び
2日連続でなかなか痺れるカンボジア。
私は優しいカンボジア人家族の家に泊まっていたため、また宿に戻って癒されようと帰宅し始めたのですが、町中が停電なので帰り道が全然分かりません!
普通の家なので、聞き込みをするわけにもいかないし、目印になるものも
「〇〇の看板を左」
みたいな感じだったのでその看板の電気も消えています。
そして追い討ちをかけるように再び大雨が…
もうこの時の気持ちは
ベンメリアに行ってみたいだけなのに!
なんでこんなにうまくいかないんだ~!
うお~!
と叫びたくなるほど!
しかしキチガイだと思われたくないので
小さく
といった感じで深夜0時ごろなんとか宿に到着したのですが、私が泊まっていた宿は普通の人の家。
鍵が閉まっていて、電気も消えていたので庭のビショビショのハンモックで寝るのでした。
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