タトゥーの修行をしにインドのゴアへ来た私は、ついに3年前に会ったホリコさんという日本人彫り師と再会し、やっとスタートラインに立つことができました。
まずは自分の腕に彫ってもらいながら技術的なところを学びました。
しかしいくら知識を入れても練習しなければ技術は伸びません。
ということでホリコさんがどうやって練習したのか、彼女の過去について聞いてみることにしました。
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CONTENTS
女彫師の壮絶な人生
現在地はゴアのアンジュナビーチ。
2日目にホリコさんと再会し、次の日にはラインを腕に彫りました。
これから2週間程は傷が癒えるまでタトゥーを彫れないので、ホリコさんとしゃべるだけの毎日です。
それまでどうしてたんですか?
というかなんで彫り師に?
なんでインドで?
知りたい?
私はホリコさんがアートとともに歩いてきたその壮絶な人生の話を聞いてド肝を抜かれました。
[ホリコさんの話]
大学卒業後も就職せず絵を描く毎日だったそうです。
アルバイトをしながら日々作品を描き溜めて、バイト代をはたいて仲間と個展を開くという生活を何年も続けたホリコさん。
絵ってさぁ…全然売れないんだよ?
画家を目指して生きていましたがそのほとんどは売れず、夢でメシが食えないと判断した彼女は29歳の時に絵を描くこと自体を辞めてしまいました。
そして残った貯金を全て握りしめて向かった先がインドだったのです。
自分探しの旅ってカッケーじゃん?
そういう人が行くのってだいたいインドかなって、私はそんなイメージがあったのよ
そしてなんとそのインド旅行の途中で出会ったインド人男性と大恋愛。
さらにそのまま結婚してしまったのでした。
しかし相手はインド北部のゴリゴリのムスリム(イスラム教徒)の家系で、一夫多妻制だったのです。
一度は覚悟を決めて自分もムスリムとなりその家庭に入りましたが、ひとりだけ日本人であるホリコさんは妻軍団からありとあらゆるいじめを受けてしまったのです。
しばらくは我慢していた彼女ですが、暴力が増え、たまらず逃げ出した先がインド唯一のキリスト教圏であるゴアだったのです。
画家の夢を失い、結婚するも上手くいかず、フラフラとしていた時に1人のインド人彫り師と知り合いました。
彼は非常に寡黙で、ゴアのビーチの小さなスタジオでただひたすらにタトゥーを彫り続けるアーティスト感丸出しの男。
ホリコさんはその男の芸術に感動して、それからはスタジオに通っては喋りもせず彼のそばで仕事を見るだけという毎日を送りました。
そして気付けばまた前のように絵を描くようになるのです。
絵を見せ合う事でその男とコミュニケーションを取るようになり、たまにタトゥーマシンを握らせてもらったりもしました。
しかしその彫り師の男はかなりのヤク中で、30代という若さである日コロッと死んでしまったのです。
(てっきりその人がホリコさんの師匠かと思ってた)
その事をきっかけにホリコさんは彫り師になることを決めたのでした。
その後彼女はダラムサラという町へ移動します。
練習や訓練もなく道具が揃った日から看板を出して、ホリコさんはいきなり仕事として彫り師をやり始めたのです。
ダラムサラで技術を高め、日本へ帰国した時も実家を勝手にスタジオにしたりと、とにかく場数を踏んでいきます。
すんません何年後って言いました?
歳バレんじゃん!
乙女かよ。
スタジオ・おしんぽこ
私はホリコさんの話を聞いて、グズグズしていられないと思いました。
特にダラムサラで勝手に看板を出してやっていた話に感化され、私も同じように現地民に彫って練習しようと思ったのであります。
私が泊まっている場所は一軒家の一室を宿泊施設に改造したような場所で、オーナー家族の許可を取り、客室兼スタジオとして使わせてもらえる事になりました。
つまり「スタジオおしんぽこ」の完成であります!
ただホリコさんのご迷惑になるといけません。
どういうことかというと、客を取ることになる可能性があるのです。
そこで話し合いの結果、観光客には手を出さない、現地民に無料で彫ること。
これを約束し、私は集客のためにビーチ沿いのレストランへ行きました。
服に「Free Tattoo」と書いて、寄ってきた人間に練習させてくれと頼むという作戦であります。
肌を出していると「ナイスタトゥーだね!」とよく言われるので、私の体自体が宣伝になるのです。
そしてその宣伝効果は私が想定していた何倍もの効力でした。
一瞬にして10人程に囲まれ、俺も俺もと頼まれてしまったのです。
また「金を出すからこんな感じでよろしく」
と頼んでくる人間にはホリコさんの店をすすめて、お客が行くように仕向けました。
それからというもの、
昼間はホリコさんの店で仕事を見学
夕方からはスタジオおしんぽこで無料で現地民に彫りまくって練習する
という日々が始まったのでした。
多い日には1日に3人に彫った事もあります。
ホリコさんの話を聞いて感化されたことで私の彫り師への歩みは加速しました。
また彼女が「美大卒で画家を目指していたからこそ30代からでも彫り師の仕事になった」という事実を知り、高卒で絵なんか描いた事がなかった私は何倍も努力をしなければいけないという事に気付いたのです。
私は雨季のアンジュナビーチで朝から晩までタトゥーの事だけを考えて生活をする、もはやバックパッカーではないただの修行者になるのでした。
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