旅人失格 第八章 鳴り止まない二十ペソの残響
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二十ペソの屁
午後十一時。またもや深夜の到着だった。
台北、アンヘレスと、夜の街を彷徨うたびに魂を摩耗させてきた僕は、今度こそ空港のベンチという名の無償の聖域に骨を埋める覚悟を固めていた。一泊分の宿代を浮かす。それは貧乏旅行者にとっての聖戦であり、勝利の証である。
しかしセブ空港の内部は、エアコンの冷気を吸い尽くさんとして床に転がる地元民たちが、収穫後の大根のように折り重なる人間地獄と化していた。布団を持ち込み、そこを棲家と定めた家族までいる。熟成された人間臭に脳を焼かれ、僕はたまらず外気へ逃げ出した。
また夜の街を彷徨く羽目になった。
「安いホテルまで。タクシー代も安めで頼みます。僕は今、極限に脆い」
心身ともに磨り減り、豆腐以下の強度となった僕は、捕まえたタクシーの運転手に、一気に要望を叩きつける捨て身の直訴に出た。
「いいだろう、任せておけ」
気さくな運転手は、ダウンタウンにある馴染みの宿を知っているという。道中、冗談を言い合ううちに彼とは数分で打ち解けたが、この国での親愛は往々にして金銭的搾取の序曲である。しかし、案内された宿を目の当たりにして、僕は己の浅ましさを恥じた。
ホテルは驚くほど綺麗だった。六百ペソ。アンヘレスのあの死臭漂う『ホテル・ソゴ』より二百ペソも安い。
気分良くチェックインを済ませた。ようやく運命の歯車が噛み合ったことに興奮した僕は、その勢いで水と、ついでにささやかな祝杯を上げるためのビールを買いにいくことにした。
そのせいで地獄を見た。
「出て右に百メートルほど歩けば店がある。だが、この時間は外に出ない方が賢明だと思うが」
スタッフの忠告を、僕は鼻で笑った。百メートル。それは人類が十秒ちょっとで駆け抜ける、取るに足らない空白ではないか。
アンヘレスを脱出した開放感が、僕の警戒心を根こそぎ麻痺させていた。
外へ出ると、すぐに脂ぎった太った女に声をかけられ、その後ろから夜の花を自称する不吉な行列が現れた。逃げねば、と思った瞬間には六人に囲まれていた。

「むむ、あんたは、何者だ」
さらに女たちの背後に、映画ワイルドスピードに出てくる、ドミニクのなり損ないのような大男が立っていた。右目は潰れ、全身には熊とデスマッチでも演じたかのような無残な傷跡がある。

「どの子にするか決めたか。こっちは三千、こっちは四千、おっかさんは二千だ」
老婆すらも商品として陳列する異常としか言えぬ商魂。僕は完全に萎縮した。
「飲み物を買いに来ただけなんだ。金はない」
カツアゲされている中学生のような卑屈な口調で突破を試みたが、ドミニクの丸太のような腕が僕の肩に回された瞬間、世界の自由度は消失した。
「ならば俺たちと一緒に飲もうじゃないか」
拒めば、僕の眼球も彼のように虚無へと変えられる。恐怖に駆られた僕は、一杯だけ付き合うという最悪の妥協案を飲んだ。
商店の裏手のテーブルには、法と秩序が蒸発した魔窟が広がっていた。奇声を上げる女、サクソフォンのようなパイプでボコボコと大麻を吸う男。暗くてよく見えないが、明らかにセックスをしている男女。その掃き溜めに無理やり座らされた僕は、ドミニクに買わされたビールを持って、世界一血圧の上がる宴を開始した。

「マリファナはいかがだ」「コークもあるよ」
笑いながら勧めてくる彼らに、僕は必死で金がないと断り続けた。
「じゃあ金を持ってこい。どこに泊まっているんだ、お前」
ドミニクに睨まれ、僕は咄嗟にホテルとは逆の方向を指差した。
「あっちです」
「あっち側に、ホテルなんてねえぞ」
ドミニクが急に黙り、僕のもやしのような細い肩を、鎖骨を砕かんばかりの握力で掴んだ。彼は紙巻の大麻に火をつけ、肺の奥に溜まった淀んだ煙を僕の顔面に吹きかけると、それを無理やり口元へ突き出した。
「吸え。吸わねば死だ」
逃げ場はない。僕は言われるがままに、一口吸った。激しく咽せ返る僕を見て、彼らは下卑た笑い声を上げた。
「わはは。こいつ吸いやがった。終身刑だな」
頭に血が上り、思考が混濁する。現地語の密談が、聞こえる。なんだか僕をボコボコにしてジンベイザメの餌に加工する手順の相談に聞こえた。逃げるしかない。僕はビールを飲み干すと、ゆっくりと立ち上がり、空き瓶をゴミ箱へ捨てた。ドミニクたちが座っているのを確認した瞬間、
走った。

ぺたぺたぺたぺたぺたぺた。
ビーチサンダルの情けない音を立てながら猛ダッシュである。
ホテルの逆方向へ、運動音痴の僕がなりふり構わず走った。
「待て、この野郎」

ドミニクと女が追いかけてくる。なぜ、これほどまでに執着されるのか。ホテルの水が三十ペソだったから、十ペソで買える店へ行こうとしただけだ。わずか二十ペソ、日本円にして数十円をケチった報いが、この命懸けの逃走劇か。
はぁはぁ。
走っているうちに、思考が異常な速度で切り替わる。ドミニクから逃げる、という現実的な恐怖が、次の瞬間には爪切りへ、その次には田楽味噌にすり替わる。
大麻の影響か、走る足音のリズムが「ブッ、ブッ、フォッ、ブッ、ブッ、フォッ」という乾いた音に変換されていく。
この音、聞き覚えがある。中学の教室だ。なおちゃんだ。活発かつ、社交的な女子だった。
彼女は授業中、自らの腸内に溜まったガスを放出する際、その爆発音を隠蔽するために、隣の席の僕の名前を大声で「シン」と呼ぶという、極めて高度かつ独善的な偽装工作を思いついた。
だが、その日、彼女の計算は狂った。「シン」という叫び声の刹那、彼女が全精力を注いだ肛門括約筋の解放は、発声とのタイミングが少しずれ、さらに想定外の質量を伴って炸裂した。
「シィィン、ブッフォ」
教室が静まり返る。なおちゃんの呼び声は単なる「屁の導入」だった。彼女はそのまま保健室登校という名の精神的避難所へ無言で逃げ込んだ。
いま、僕がセブの路地を走る「ペタッ、ペタッ」というサンダルの音は、なおちゃんのあの時の「ブッ」という音と完全に同期し、脳内でエコーを繰り返している。
「ブッ、ブッ、ブッ、ブッ」
屁のリズムで走っている。僕はなおちゃんの屁そのものだ。あの時僕は手を挙げて、「先生殿、すいやせん、やっちまいまして、えへへ」と、肩代わりをしていれば何かが変わっていただろうか。
「屁? なんで僕は今、屁として走っているんだ」
ふと我に返り、肩越しに振り返った。
遠くに、ドミニクと女の姿が見えた。彼らは、驚くほど足が遅かった。というより、ほとんど進んでいない。泥酔した彼らにとって、僕という「走る屁」を捕らえることは、物理的に不可能であったらしい。
僕は路地を抜け、大通りへと這い出した。心臓の鼓動が屁のビートを刻むのをやめるまで待ち、なんとかホテルへ帰り着いた。
「どうしたんだ、そんなに息を切らして」
驚くスタッフの問いに震えながら言った。
「水をください。三本。高くていいです」
良いホテルだったが、連泊はしない。またあのドミニクに捕まれば、次こそはなおちゃんの屁ではなく、ジンベイザメの糞として生を終えることになる。安く買うはずだった水は、ドミニクたちのテーブルに、戦利品として置き忘れてきてしまった。だが、もういい。二十ペソ。それは命より重い通貨なのかもしれない。
深夜の部屋、冷房の唸り声が、ドミニクの低い笑い声に聞こえて、その夜はなかなか寝付けなかった。
それらしいバックパッカー
九月七日午前十時、チェックアウト。
海外生活を始めて二ヶ月。僕はここで、初めて、宿泊施設予約サービスに手を出すことにした。
これまでの僕は、フィリピンでは学生寮に寄生し、台湾では角刈りの男に連れられ如何わしい健康ランドへ突撃し、挙句の果てに昨夜はタクシー運転手の「いいとこ知ってるぜ」という甘い囁きに身を委ねてきた。
しかし、今の僕はドミニクの握力によって鎖骨に微細なヒビを入れられた(ような気がする)身である。宿探しに難航し、再び路頭に迷うことだけは、もう二度と許されない。
「おお、文明よ」
画面を撫でれば、宿が湧き出るように現れる。流行を二、三年遅れで追いかけるのが僕の性分であったが、背に腹は代えられぬ。僕は一泊三百五十ペソという、どこかで計算を間違えたみたいな値段の宿を予約した。
ホテルマンが「タクシーを出そうか」と慈悲の声をかけてくれたが、僕はそれを丁重に断った。二十ペソをケチって死にかけた男が、今度は数百ペソを浮かそうと歩き出したのである。学習能力の欠如は、もはや芸術の域に達していた。
セブのダウンタウンから約三キロの道のり。二十キロの荷物を背負っていた頃の僕は、歩くという行為を苦行と定義していたが、断捨離を経て八キロとなった今、僕の足取りは羽毛のように軽い。クラークの公園でカメラを紛失しているため、実質的な重量はさらに減っているはずだ。
「カメラ。ああ、僕のカメラは今いずこへ」
失ったデバイスへの弔いを捧げながら歩くセブの街は、ハイビスカスめいた花とヤシの木めいた木が乱立し、いかにもリゾートの皮を被った魔境といった風情である。
辿り着いたホステルは、入り口からエアコンの冷気が暴力的と言えるほどに噴き出しており、僕はその人工的な寒気に、狂おしいほどの愛着を覚えた。
案内されたのは六人部屋のドミトリー。先客の二人は、仕事の研修でセブに来ているというフィリピン人のマークとルディだった。

見た目は「人生の酸いも甘いも噛み分けたおじさん」そのものであったが、後に僕より年下であることが判明し、僕はその瞬間、見た目で人を判断するという文化そのものに、軽く裏切られた。
「マーケットへ行こう」とマーク。誘われるまま、三人でローカルなマーケットへと繰り出した。そこは、ハエが狂舞し、野良犬が徘徊し、地面が正体不明の液体で湿った、衛生観念の墓場のような場所であった。
かつての僕なら「うわ、汚い。最高にアジアだ」と興奮の坩堝に叩き込まれたはずだが、今の僕は、ハエの一匹や二匹を見ても「ああ、ハエであるな」としか思わない。アジアに慣れるということは、感性の死を意味する。
僕はそこでフィリピンマンゴーに出会った。
熟れに熟れた、巨大なものが一個二十ペソ。昨日、僕がケチって死にかけたあの二十ペソで、この黄金の果実が手に入るのだ。
僕は五個のマンゴーを購入し、宿の住人たちとマンゴー会を挙行した。キンキンに冷えた果肉は、ドミニクに吸わされた大麻の毒素を、わずかに中和してくれたような気がしたのである。
夜。ルディ曰く、「穴場」のレストランがあるという。
着いた場所は、照明という概念が発明される以前の世界のような、漆黒の飲食店であった。

「ここは、洞窟ではないのか」
メニューなど存在しない。運ばれてきたのは、何らかの肉を焼いたものと、葉っぱに包まれたもち米。これが、驚くほどうまい。
もし電気がついており、その調理工程や衛生面、また、食材の真実が可視化されていたならば、僕の繊細な胃袋は即座に拒絶反応を示しただろう。闇は、最高の調味料だった。
食後、僕は宿の屋上にあるプライベートバーへと彼らを誘った。
オーナーが手作りしたというその場所では、ヨーロッパ勢とフィリピン勢が入り乱れ、既に宴の火蓋が切られていた。大画面スクリーンにはロックバンドの映像が映し出され、僕は彼らとともに コールドプレイの『イエロー』を大合唱した。
歌詞は不明だったが、僕は「フンフン」という独自のハミングをセブに響かせた。
そう、これだ。僕が求めていたバックパッカーの夜は、これなのだ。
思えば、バギオの慣れ親しんだ地を離れるとき、僕の胸を支配していたのは、底の知れない恐ろしい不安であった。自分という人間に致命的な欠陥があることは、二十六年の人生経験から痛いほど理解していた。その欠陥が、異国の地で最悪の形で露呈し、取り返しのつかない破滅を招くのではないかと、僕は震えていたのである。
しかし、いざ蓋を開けてみれば、台湾での日々は拍子抜けするほどに順風満帆であり、幸福そのものであった。
そこで僕は、甘い毒のような自信を得た。あるいは、張り詰めていた糸が、ブツリと音を立てて切れたのかもしれない。
その反動が、昨日までの三日間の地獄だった。空港での追放、アンヘレスの受難、そしてセブでのドミニクとの遭遇。あまりに順調すぎた台湾という祝祭のあとに用意されていた、残酷なまでの帳尻合わせ。
しかし、それらすべての不条理をくぐり抜け、僕は今、安ビールと見知らぬ誰かの歌声に包まれている。
今日やっと、僕ははじめて「それらしい」バックパッカーの一日を終えた。
なおちゃんの屁の残響はまだ耳の奥にこびりついているが、それすらもこの夜の隠し味として飲み込んでしまえるほどに、僕の心は、歪な充足感に満たされていた。
九月八日。
前夜の多幸感に満ちた合唱の余韻は、朝目覚めると同時に無残な二日酔いという名の「生理的制裁」に変貌していた。明後日九月十日にはマニラからシンガポールへ飛ばなければならない。フィリピンとの決別まで残り二日という土壇場で、僕は宿の二段ベッドの上、運命的な邂逅を果たすことになった。
朝八時。僕の視界に飛び込んできたのは、昨日まで空席だったはずのベッドを占拠する二つの肉体だった。
上段では何者かがスマホを弄り、もぞもぞと芋虫のように蠢いている。下段には、滝のように流れる見事な長髪を晒して眠りこける人物。
「あの新しい二人は、日本人だよ」
マークが、神託を授けるように囁いた。
サラサラの長髪をなびかせる美男サラガミ二十五歳と、前髪を水平線のようにまっすぐに潔く切り揃えたパツコ二十六歳だ。


二人はカップルであり、オーストラリアで二年に及ぶワーキングホリデーを完遂してきた手練れだった。
年齢こそ同世代だが、海外経験値において彼らは歴戦の勇者、僕は産着も脱げぬ赤子である。
不思議と意気投合した僕らは、出会って一時間後には三人でビーチを目指すタクシーに揺られていた。
パツコが執念のリサーチで掘り当てた「そこらへんの海沿い」という名の無料ビーチ。セブの海岸線は、傲慢なリゾートホテルどもによって私有地化されており、僕のような薄汚れた漂流者が無料で立ち入る隙など皆無に等しい。
海。それは僕にとって、何をすれば正解なのか皆無な未知の領域である。
とりあえず飛び込み、とりあえず潜るという幼児退行を繰り返したが、十分で僕の生命エネルギーは枯渇した。
周囲には、隙あらば荷物を掠め取らんとする怪しいキッズや、眼光の鋭いおばちゃんが跋扈している。僕は荷物番という、この旅で初めて経験する「他人の役に立つ役職」に就くことにした。
ここで、僕の脳内に異常な防犯意識が萌芽した。
「この国は、油断すればサンダルすらも盗難の対象となる。ならば、不可視の領域へ隔離せねばならぬ」
僕は二人の荷物をすべて自身の肉体に装着し、パツコとサラガミのお洒落サンダルを砂深くへと埋設したのだ。「埋めれば、無いも同義。盗みようがあるまい」という、狂気にも似た論理の飛躍。
戻ってきたサラガミが、砂を掘り返す僕を見て絶句した。
「何をしているんだ、あんたは」
「話すと、腸のように長くなりますが」
僕は独自の防犯哲学を、熱帯の風に溶かして煙に巻いた。

夜はマンゴーストリートへ移動。僕らは「サンダル短パン厳禁」というパツコの調査を信じ、急遽、まだ糊の気配が残るデニムに脚を通してナイトクラブへ乗り込んだ。
しかし店内には、短パンにビーサンという、その調査を鼻で笑うような連中が溢れていた。僕の脚にまとわりつく新品のデニムだけが、やけに場違いだった。熱狂に紛れ込みながら、僕はこの布切れの出費について考えないようにした。
結局、パツコは体調を崩して退却し、生き残ったサラガミと僕は宿の屋上バーで再び杯を交わすことになった。
同じ九州出身だという、たいして根拠にもならない共通点が、妙に効いた。会話はやけに転がりがよく、気づけば夜は勝手に深まっている。
「あと一カ国だけ寄って帰ろうと思う。タイとか」
サラガミがそう言うと、僕は間を置かずに「じゃあバンコクで」と口を挟んでいた。こういう約束は、だいたいがその場しのぎの空気、つまりは社交辞令の屁で終わる。
けれどこのときに限っては、どうも様子が違った。妙に現実味があるというか、逃げ場のない話になっている。
「いいね、それ。やろう」
サラガミはあっさりそう言って、真面目な顔をした。その顔を見て、僕のほうも、ああこれは流れでは済まないやつだな、とどこかで観念していた。知り合って一日。時間にすれば大したことはないが、そのくせに濃い。とにかく無視しづらい何かがそこにあった。
また会う、という話が、冗談で終わらずに一応の形を持ってしまった以上、それはもう約束と呼ぶしかない。面倒でもあり、ありがたくもある。
静かで生温い夜風が肌にまとわりつく。その感じが、さっき交わした約束とよく似ている。気のせいかもしれないが。
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アホでも、腹は減る
九月九日。
フィリピンの首都マニラへと飛び立つ。
僕が身を寄せたドミトリーホステルは、『TR3AT』という名だった。おそらく「TREAT」の「E」を「3」に置換するという、英語力が赤ちゃんレベルの僕には眩しすぎるほどにハイカラな命名だった。
その洒落た空間で、僕はマークやルディ、そしてサラガミやパツコといった歴戦の勇者たち、さらには「おはよう」という日本語に丸一日笑い転げていたオハイオ州のダグや、尻の割れ目がほとんどはみ出ている、露出度の限界に挑むスペイン人のルシアなど、多国籍な有象無象と知己を得た。
別れは常に、肺の奥をちりりと焼くような痛みを伴う。しかし、その痛みを栄養として人は強くなるのだと、僕は自分に言い聞かせた。
「じゃあ、みんな。また地球のどこかで」
湿っぽく、かつ格好をつけた別れの挨拶を、脳内でリハーサルをした。
したのにだ。
「えっ、誰も見送りに来ないんですけど」
そんな馬鹿な話があるものか。昨日盃を交わし、あんなに魂を交感し合ったではないか。しかし、現実は非情である。ドミトリーの住人たちは、一様に泥のような眠りの中に沈没しており、僕の門出を祝う者は一人としていなかった。そりゃそうだまだ八時だ。
僕はたまに、あらゆるハプニングを想定して異常に早く行動するという、臆病者特有の「素晴らしい悪癖」が顔を出す。十一時のフライトに対し、三時間半も前にチェックアウトするという、自覚的なアホ。静寂に包まれた宿を、音を立てぬようこっそりと、まるで逃亡者のように後にした。
空港までは、三十分で到着した。
時刻は午前八時。出発まで三時間。当然、チェックインカウンターすら開いていない。
「嘘だろ。三時間は暇すぎる」
己の過剰な用心深さに呆れ果てた僕は、この空白の時間を使って「マニラへの武装」を開始した。
マニラ。二ヶ月前、僕はその空港に降り立っただけで街の深淵は知らない。
だが、風の噂に聞くその街は、さながら修羅の国だった。
「日本人は必ず狙われる」「ピアスをしていれば耳ごと引きちぎられる」「腕時計は腕ごと持っていかれる」「中華街には死体が転がっている」
今思えば笑止千万なデマだが、純情無垢なバックパッカーである僕は、これらを福音のごとく信じ込んでいた。
「襲われても、全速力で逃げられるようにしなければならない」
僕は、昨日マンゴーストリートへ突撃するためにわざわざ購入した靴と長いデニムを、迷わずゴミ箱へと投棄した。中華街で腕をちぎられ死体となる未来を想像すれば、数千円の出費など塵に等しい。僕は軽装という名の生存戦略を選んだのだ。
午前十一時、離陸。
機窓から眺めるフィリピンの島々は、皮肉なほどに美しかった。
マニラ、ニノイ・アキノ空港。
二ヶ月前には文化の衝突に震えていた場所だが、今は何も感じない。慣れとは、恐ろしくも逞しいものである。
予約していたホテル『エクセルイン』へ向かうタクシーの中、僕は成長した己の「バックパッカー能力」を誇示しようと試みた。
マップを凝視し、ドライバーが遠回りを始めた瞬間に「ストップ、ストップだっつーの」と、江戸っ子のような威勢で説教をかました。
僕は約束通りのメーター料金、百四十ペソを叩きつけて降車した。しかし、ドライバーは僕を追いかけ、「あと百十ペソ出せ」と、算数の概念を根底から覆す請求を突きつけてきた。
僕はそのアホな要求を鼻で笑い、逃走、一泊千ペソもする、分不相応に高いホテルへとチェックインした。
ホテルの管理人は、一つ聞けば五十を喋り倒す、饒舌の権化のような親父だった。
「夜は危ないから、絶対に出歩くなよ」
親父のアドバイスに従い、僕は昼のうちに用事を済まそうと勇んで街へ出た。しかし、歩き始めて五分、僕は愕然として立ち止まった。
「用事が、無い」
そう、僕にはマニラで成すべきことなど、何一つとして無かったのである。
そもそもバックパッカーにとって用事とは何なのだ。あるのか。宿を取る、チケットを取る、飯を食う。それ以外に何がある。
午後五時。急激な大雨に降られた僕は、すごすごとホテルへ戻り、親父の独演会をさらに三十五ほど拝聴して時間を潰した。
午後八時。
シャワーを浴びながらついでにその湯で洗濯を始めた。ビショビショになった服を、明日までに乾かさねばならない。
ふと、事前にコピーしておいたEチケットの控えを開く。
「九月十日」という日付は、これまで幾度となく脳内で唱え、頭蓋の裏にこびりつくほど覚え込んでいた。だが、肝心の出発時刻までは、まだ染みついていなかった。
「10 Sep 2:15 am Manila Singapore」
何だこれは。
エイエム?
エイヒレならば、焦げ付く寸前まで炙るのが好みだが、この「am」という二文字は、そんな悠長な嗜好を許さず、僕の身体を即座に火あぶりにしてきた。
これは、いよいよ始末に負えないやつだ。
今は九月九日の午後八時。出発まであと六時間しかない。
空港までの移動、チェックインの列、そしてこのしぼりたてのびしょ濡れの衣類をどうする。
ビールを飲んでいる時間などない。寝ている時間もない。
そもそも、なぜ僕は千ペソも払って、この宿を取ったのだ。どうしてここまでアホなのだろうか。
これまでの短いながらも壮絶な旅の失敗を、指折り数えようとした。だが、毎日が失敗の連続であることに気づき、途中でやめた。数える意味がない。その時間すら惜しい。
エアコンを暖房に切り替え、送風口に、ねじ切る勢いで絞った衣類を吊るす。無理やり乾かすしかない。夏のマニラで暖房をつけた人間は、たぶん、歴史上僕が初めてだ。
フィリピンとも、今日でお別れである。
「こんなめちゃくちゃな旅行も、いつか笑い話にできるはずだ、いや、そうでもしないと体がもたない」
そう言い聞かせ、一度も横たわることのなかった豪華なベッドに別れを告げ、生乾きの服を詰めてエクセルインを出た。
出国まで、残り三時間。
しかし、僕はまだ気づいていなかった。フィリピンという国が最後に用意した「真の恐ろしさ」と、自分の底知れぬ「真のアホさ」に。
午後十一時。
僕は一泊千ペソもした高級宿の、一度も皺を寄せていない純白のベッドに別れを告げた。飛行機の時間は午前二時。三時間の余裕は、臆病者にとっての「生命維持のための最低限の余白」であったが、エントランスを出た瞬間、流しのタクシーという概念そのものがマニラの夜から蒸発している事実に直面した。
「引き返せば、千ペソのサンクコスト(埋没費用)が僕を嘲笑う」
自意識の葛藤に苛まれながら歩き出した僕は、不気味な静寂に包まれた大通りで、黄泉の国からの迎えの馬車のようなジプニーを捕まえた。
「空港に行きたい。乗せてくれ」
必死に食い下がる僕に対し、ドライバーはタガログ語で何かを怒鳴り散らしている。「このジプニーは地獄行きだ、アホめ」と言われている気がしたが、僕は強引に乗り込んだ。マップによれば道は単純だ。この大通りを直進し、一回右に曲がれば、そこには空港が鎮座しているはずなのだ。
ジプニーが走り始めて二十分。
街の灯りは急速に背後へと遠ざかり、周囲は絶対的な暗闇に塗り潰されていった。地図上の右折ポイントに差し掛かった瞬間、僕は自身の致命的な「読み間違い」に気づき、心臓が凍りついた。
そこは交差点などではなく、ただの巨大な陸橋であった。右折して空港へ向かうなど物理的に不可能な、断絶された空間。
「だから言っただろうが、このアホが」タクシーと違い、ジプニーは走行ルートが決まっているため進路の変更はできない。
僕はドライバーとの約束通り、その奈落の底のような場所で降ろされた。
そこは、セブのドミニクと対峙した夜が、まるでお伽話のように思えるほど、最悪の空気を纏った場所だった。

川沿いの陸橋下。車は通らず、街灯も死んでいる。
鼻を突くのは、何かが腐敗し、発酵し、絶望に変わったような悪臭。散乱するゴミと割れたガラス瓶が、僕の煎餅のように薄いサンダルを容易く貫通し、足の裏に「現実」という名の鋭利な痛みを刻み込む。
そして、闇の向こう側に、数人の人影が揺らめいているのが見えた。
「終わった」
恐怖で膝が笑い、心臓が軋みながら寿命を削るビートを刻む。僕はもはや、死を待つだけの歩く肉塊だった。
このまま身ぐるみ剥がされ、存在を消され、あのどす黒い川に投げ捨てられて終わるのか。
マニラの噂が、脳内で死の行進曲を奏でる。「腕ごと持っていかれる」「中華街には死体が転がっている」さらには内臓や眼球まで奪い取られ、この栄養の行き届いていないパサパサの長髪すら刈り取って、売却されるかもしれない。
僕は死の予感の中に立ち尽くした。どれだけそこにいたかはわからない。
その時、一台の車がヘッドライトで闇を切り裂き、僕の目の前で止まった。
タクシーだった。
「おい、こんなところで何をしている。乗るか」
僕は、三途の川の渡し守に救い上げられた死者のような心持ちで、その車内へと飛び込んだ。
逃げ去るタクシーのバックミラー越し、ヘッドライトに照らされた五人の若者たちが、ポカンと口を開け、肩をすくめて「なんだ、あのアホは」と言わんばかりに見送っているのが見えた。同時に僕も「なんだ、尻の青い餓鬼ではないか」と拍子抜け。僕を喰らうはずだった修羅たちは、ただの夜遊び中の少年たちに過ぎなかった。
だが、車内に漂う安っぽい芳香剤の臭いを「聖なる香油」のごとく貪欲に吸い込み、安堵が臨界点を超えた僕は、もはや正気ではなかった。
「この汚れた紙切れ、金を持っているから、人は命を狙われるのだ。全てをこの聖職者に委ねることで、僕は解脱する」
もうあと数時間でペソは必要なくなる。僕は財布の中の全財産、約八百ペソを掴み出し、困惑するドライバーの手の平に無理やりねじ込んだ。
「おい、八十でいいんだ。桁が違うぞ。多すぎる」
「いいのです。魂のデトックスです。『ありがとう』と共にこれを贈ります」
ドライバーの困惑を聖職者ゆえの謙虚さと勝手に脳内変換し、僕は一文無しの真のバックパッカーへと昇華した。
午前零時三十分。ニノイ・アキノ空港着。
勝ち誇った顔で電光掲示板を見上げた瞬間、僕は、自分の視力が狂ったのかと疑った。
僕の乗るべきシンガポール行きは、午前十時になっていたのである。
その瞬間、僕の脳内で、バラバラになっていたパズルのピースが、嘲笑とともにカチリと噛み合った。
三日前に届いたジェットスターからの「時間変更」のメールの文面が、後出しジャンケンのように脳内で発火した。十時発。そう、十時発なのだ。
「それなら一泊した方がよろしいな」
その部分だけを記憶し、「十時発」という極めて重要な「解」を、脳のゴミ捨て場に完璧に投棄ししていた。
すなわちこれほど早くホテルを出る必要もななかったわけで、陸橋下の恐怖も、八百ペソの寄進も、すべては僕の全細胞が総力を挙げて上演した、観客不在のひとり芝居だったのだ。
「am」という二文字が、嘲笑う口の形に見えてくる。
僕は、歩く欠陥品だった。頭の中身だけが見事に留守で、その留守番すらいない感じだ。
手元にはほとんど価値のない小銭が数枚。これから九時間、僕は空腹のまま、自らのアホさを噛みしめて過ごさねばならない。
僕は、笑った。狂っていた。
あまりの無様な人生に、僕は掲示板の前で、笑うしかなかった。もはや僕の人生そのものが、なおちゃんのあの時の一発のように、タイミングと質量を間違え続けているのではないか。
深夜だがそれなり人にはいる。それでも高らかに、腹を抱えて笑った。笑いながらATMへ行き、金を捻り出した時には吹き出した。人は九時間もあれば腹が減るからね、と数分前に捨てた八百ペソを思いながら笑った。
シンガポール行きの機体が動き出すまで、冷たいベンチの硬度を尻の肉で測りながら、己の知性の欠損をじっくりと咀嚼して過ごした。
ふと、この旅の足跡を振り返る。
ビザの期限という名の死神に背中を突かれ、住み慣れたバギオの山を追われるようにして始まった、この不本意極まる漂流。台湾での束の間の祝祭に溺れ、再入国したフィリピンで待ち受けていたのは、アンヘレスという名の、精神をじわじわと腐食させる停滞の沼であった。そこから逃げるように辿り着いたセブでの数日間は、虚ろな熱狂の残滓に過ぎない。
そして極めつけは、このマニラの夜だ。安心感がもたらした末期的な痴呆によって、全財産をタクシー運転手に寄進するという独り相撲。
これらすべての迷走、空転は、たった一枚の六千円の激安航空券という、あまりに矮小で卑屈な聖遺物を守り抜くためだけに捧げられた、血を吐くような儀式だったのだ。
ポケットの中で、湿り気を帯びたEチケットの控えを握りしめる。
六千円。日本で一晩、酒を煽って泥酔すれば霧散するような端金を守るために、僕は文字通り命を削り、足の裏を切り、精神を微塵切りにしてここまで来た。
「割に合わない。あまりに、割に合わないじゃないか」
喉の奥から込み上げる乾いた笑いを、空港の無機質な空気とともに飲み込んだ。これほどのコストを、情緒という名の非正規通貨で支払ったのだ。清潔と秩序の結晶体たるシンガポールには、是非とも僕を、骨の髄まで愉しませてもらわねば計算が合わない。
だが、物価という名の残酷な数字が脳内を横切るたび、僕の心には再び、どす黒い暗雲が垂れ込める。あの国は、高い。二十ペソをケチって死にかけた貧困という名の宿病を抱える僕にとって、シンガポールの物価はもはや物理的な凶器、あるいは僕の生存権を否定する死刑宣告に近い。
二十六歳にもなって、なお金という下卑た現実に翻弄され、右往左往する己の器の小ささ。救いようのないアホ。知性の廃材。もはや自分という人間にほとほと愛想が尽き、そのあまりの浅ましさに吐き気すら覚えるが、それでも、僕は行く。
どれほど致命的なミスを繰り返そうとも、どれほど財布の軽さに絶望しようとも、一度動き出したこの不条理な濁流を止める術を、僕は持ち合わせていない。僕は、ただの汚物に身を任せ、不器用な足取りで海を越えるしかないのだ。フィリピンという巨大で身勝手なカオスを、未消化のまま胃袋に詰め込んで。
フィリピンが僕に与えたのは、癒えぬ傷跡と、消えぬ乾いた笑いと、「どれだけアホでも、腹は減るし、絶望する暇もなく次の地獄がやってくる」という、あまりに無責任で救いようのない、呪いのような真理だった。
二〇一三年九月十日、午前十時。
僕は、ついにフィリピンの空を離れた。