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プロローグ

運が悪いわけではない。
人生において運が悪いとか、ついてないとか、そういうものは実は存在しない。存在しないということにしておいた方が、少なくともこの話は整理される。
確率は常に五分五分だ。うまくいったときは「まあこんなものか」で済ませ、失敗したときだけ「どうして自分ばかりが」と大げさに騒ぎ立てるから、そう感じるだけだ。
人はだいたい、都合のいいように感情を増幅させる装置を標準装備している。
身の回りの管理と準備をサボり続けた結果、面倒な自体が律儀にやって来るだけで、運が悪いわけではない。
準備を怠った者にだけ、都合よく悲劇は訪れる。そういう仕組みになっている。

わかってる、わかってる。そんなのわかってるよ。

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「だから言っただろう」と、神だか悪魔だかが嘲笑う声が聞こえた気がした。ザク、と。
セブ島で買った煎餅のように薄いビーチサンダルを、鋭利で硬質な何かがあっさりと貫通し、足の裏に到達した。割れたビール瓶か、交通事故の残骸か、それともフィリピン特有の得体の知れない何か。正体はわからない。それはさっきまで頭の中で得意げに並べていた正論を足の裏から黙らせてきた。
頭上には高速道路が走り、そこからわずかに漏れる街灯の明かり以外に、ここには何も視界を照らすものがない。
その高架下を貫くように一般道が走っていて、日本人のバックパッカー旅行者が一人、呆然と立ち尽くしている。
排気ガスと何かの食べ物、そして強烈なドブの臭いが入り混じった空気を吸いながら、僕はまるで自分が「とりあえずカオスっぽい感じで頼む」と指示された予算ゼロの映画のエキストラの一部になったかのように、ただそこに立っていた。
片側二車線の大きな道路だというのに、街灯はない。深夜だからか交通量も少なく、奇妙なほど静かだ。静かすぎる場所は、だいたいろくでもない。
闇の中で頭上を走る高速道路を見上げた。巨大な黒い腸みたいだと思った。
何を消化して、どこへ排出するつもりなのかは知らないが、とにかく健康的ではない色をしている。時折、高速道路を通過する車の走行音だけが、この不気味な高架下の空間に甲高く響く。背後にはおそらく流れの遅い川があり、ピチャッ、ピチャッと水音が一定の間隔で耳に届く。
二十メートルか三十メートルほど離れた場所から、誰かが早口で捲し立てるように話している声が聞こえる。タガログ語はひとつもわからない。わからないという事実が、そのまま恐怖に変換される。便利な機能だが、いまは要らない。恐ろしくて、そちらに振り返ることができない。振り返った瞬間に、なにかが確定してしまいそうだ。
自分が立っているこの陸橋の下。頭上の真っ黒な道路こそ、本来ならタクシーに乗って通過していたはずの道だった。十字路だと思っていたのだ。
「この交差点で右折」と、何度も頭の中で唱えていた地図は、上と下の概念を正確に反映していなかった。
ほら、まただ。今度は地図のせいにした。正しくは僕が見誤ったのだ。責任転嫁は、呼吸と同じくらい自然に行われる。
「ついてねえな」と、いつもの癖でつぶやいた。
言った直後に、さっきの自分にまた否定される。
ジプニーと呼ばれる乗合トラックの運転手に「ここまでだ」と言われて降りてみたものの、それ以降、タクシーどころか一台の車も通らない。
頼みの綱だったボロボロのiPhone 5は、暗闇の中で降ろされる直前に無情にもバッテリー切れを起こした。タイミングが良すぎて、誰かの演出を疑ったほどだ。「運が悪い」とまた口にした。
道路の反対側には四、五人の男たちがいて、こちらを見ながら笑っているのがうっすらと見える。気味が悪い、という次元ではない。ここはマニラの街中、ドブ臭い川沿いの道路だ。
ひと気のないマニラ郊外の真っ暗な高架下。ここでどんな出来事があったとしても、夜が明ける頃には最初からなにもなかったことにされる。そんな空白が、世界中には均等に配置されている気がした。

生物の一生の心拍数は何十億回と決まっていて、その数を打ち終えると寿命を迎える。
そんなことを教えてくれた変な男がいた。

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僕が二十歳の頃に働いていたバーの常連で、昼夜問わず、屋内外問わず、絶対にサングラスを外さなかった男だ。
レスラー体型で、電柱みたいに太い右肩、そのやや肘寄りのあたりに「力」という漢字のタトゥーが彫ってあった。
「シンも海外に住んでみろ、金も友達も現地調達よ」
思い返せば、すべてはあのチカラさんから始まったのかもしれない。責任を押し付けるには、ちょうどいい距離にいる人だ。
いま僕の心臓は、物凄いスピードでリズムを刻んでいる。
チカラさん、これはつまり寿命が縮まっているということですか。
しばらく思い出せなかった男を、なぜいま思い出すのか。人間の脳は、役に立たない。
マニラでは、ピアスをしているとすれ違いざまに引きちぎられる。
腕時計をつけて歩くと、後ろから腕ごと切られて丸ごと持っていかれる。
商店街にはたまに死体が転がっている。
旅人同士の噂話で聞いた、そんな信じがたい話のいくつかを、僕は半信半疑で信じていた。
半分は嘘で、半分は誇張で、残りの半分が現実だ。計算は合わないが、だいたいそんな感じだ。
ただ、いまこの状況で、その「ほとんど嘘みたいな話」が現実味を帯びて胸を締めつけてくる。
頭からドボドボと流れる汗が、喉元まで伸びた髪を伝って鎖骨にポタポタと垂れる。
心臓が、音を立てて鳴る。
恐怖、緊張、不安。そこに、この状況を「体験」として消費しようとする、浅ましい自分もいる。
僕は長く息を吐き、そして少しでも襲われそうになったら全力で走る覚悟を決めて、ニヤリと笑った。
「そうそう、これをやりに来たんだった」
嘘だがそういうことにした。そうでもしないと、立っていられない。
一時間かもしれない。いや、十分程度だったのかもしれない。
時間はこういうとき、役に立たない。とにかく僕は、そこに立ち尽くすしかなかった。
その間、目撃した車はわずか三台。だが四台目で、ようやくそれは現れた。
比較的まともな見た目のタクシーが、ハイビームで僕を照らす。
その光が道路の反対側にも届き、男たちの顔が一瞬浮かび上がる。
十五歳から二十歳くらいの、浅黒い肌に大きな目の若者たち五人が、ニヤニヤとこちらを見ていた。
タクシーはハザードもウインカーも出さずに急ブレーキをかけ、僕の眼前に停車した。助手席側の窓が半分だけ開く。
「ジャパン、コリア、それともチャイナか」
こんな時間に、こんな場所で、なにをしている、そんな前置きはない。
国籍で値段を決める。どれくらいぼったくれるかを測る。
手順としては筋が通っている。そのわかりやすさに、なぜか安心した。
「運がいい」という感覚を、やっと得た。これでここから離れられる。
メーター料金で行くから交渉はしない、そう覚えたての拙い英語で伝えると、陽気なドライバーはすぐに車を走らせた。
背後の闇が、ようやく過去になる。

バックパッカーになるしかなかった

二〇一一年三月十一日、僕は厨房にいた。
月間労働時間は四百五十時間、休日はゼロ、手取りは十四万円。
これを算術的に解体すると、時給は三百十一円になる。三百十一円というのは日本の最低賃金を大幅に下回る金額で、違法だ。だが当時の僕はそういう計算を一切しなかった。飲食業界というのは、働く人間が時給を計算しないよう、絶妙な疲労レベルに保つことで成立しているシステムだ。
常に眠い。常に疲れている。料理が好きだから働いている、という設定で脳を騙していたが、さすがにやりすぎだった。

その日の午後、強い地震が来た。最初は、自分の方が壊れて揺れているんだと思った。その夜、津波の映像を見た。
ああ、と思った。ああ、とだけ声が出た。
こんなにも雑に、人は終わってしまうのかと思った。家も車も人間も、まとめて持っていかれていた。津波がすべてをさらっていくのを見ながら、自分の中でも同じように、何かが引き剥がされていった。そして理解した。自分は時給三百円ちょっとで人生を消費しているのだと。
「どうせいつか死ぬんだから、真面目に生きるのはもうやめた」
二十四歳の春、僕はそう決めて、店を辞めた。
それから僕はグレた。
二十四歳にして思春期を再発するという、医学的にもどうかと思われる事態に陥ったが、まあいい。みっともなさもまた個性の一種だ。思春期到来、と内心で鐘を鳴らしながら、僕はバンドを組んだ。サングラスをかけ、Tシャツの上に黒のレザージャケットを一枚だけ羽織り、煙草を吸って酒を飲んだ。寒い。だがロックンローラーは寒くないことになっているので、黙って震えた。
下北沢で何度もライブをした。音痴なのに歌い、演奏もたいして上手くないのに人前に立つ。それでもスタイルだけは崩さない。人間は、実力が伴わないときほど、外見を固める。
そういう二年間を過ごした。
そのあいだに、僕は厨房の外の世界を少しだけ知る。僕よりずっと楽に金を稼ぐ人間がいる。というより、大半の人間が時給三百円より高い給料をもらっている。まったく別の種類の仕事がある。生き方というものは、思っていたよりずっと雑多で、しかも放っておいてもそこらじゅうに転がっているらしい。
そのとき、ふと思った。舗装された道路があることを、世界は僕にだけ秘密にしていたんだな、と。被害者意識としてはかなり出来が良い。
厨房の中で、似たような給料明細と似たような顔つきの人間ばかり見てきた。その外側には、最初から別の様々な道が走っている。通ったことがないから知らなかっただけで、世界はずっとそこにある。
そして同時に、バンドというものにも違和感が出てくる。これもまたひとつの型だ。型に収まることで自由を演じる、その根の深いダサさに、ある日ふと気づく。気づいてしまうと、もうだめだ。
バンドを辞めたくなった。二十六歳だった。そこから虚無が始まった。
何もしない。何も考えない。そういう状態に人間はすぐ慣れる。慣れたら終わりだが、その「終わり」にも慣れる。
これまでの就職活動は、バイトも含めて三十敗。人の紹介以外で職を手にしたことがない。嫌いな言葉は「面接」と「履歴書」。好きな言葉は「半額」と「無料」。この語彙の偏りが、そのまま僕の社会適性を端的に説明している。
この年齢にして、やるべきことが完全にわからなくなる。いや、わからなくなったというより、最初からわかっていなかった事実に、ようやく追いついただけだ。
そんなとき、脳みその奥で声がした。
「シン、海外へ行ってみないか。いや、海外に住んでみろ。金も友達も現地調達よ」
誰だよ、と思う。名乗れ。だが名乗らない。脳内のくせに偉そうだ。
料理も音楽もやめた僕に残っている興味といえば、幼少期からぼんやり抱えていた「日本を出てみたい」くらいのものだった。どこの誰ともつかぬ、記憶に引っかかりもしないような関係の男の言葉だけが、なぜか何度も戻ってくる。
ちょうどその頃、手元の端末ひとつで、世界の情報がやけに簡単に手に入る時代に突入していた。不可能だと思っていた海外生活も、よく見ると「貧乏旅行ならいけるのではないか」という隙がある。
荷物を減らし、金を削り、世界を歩く。
それはどうやら「バックパッカー」というらしい。
バックパッカー。なんだそれは。
思い立つと同時に、仕事を休み、バンドの練習も放り出して調べる。だが調べても、いまいち実感が湧かない。仕方がないので、経験者に聞くことにした。

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最初に浮かんだのが、大葉さんだった。
「シンくん、ひょっとして人生なめてる?」
久しぶりに会った大葉さんは、開口一番そう言った。
「なめてないです。むしろ人生が僕をなめてるんです」
思っていたよりいい声が出た。少し照れた。だが、照れを見せたら負ける気がしたので、そのまま押し切る。
「だからこそ今のうちに僕は世界を見にゆくのですよ、大葉さん」
大葉さんは僕の五つ上、三十一歳の無職だった。無職なのに落ち着いている。無職のくせに堂々としている人は大抵面倒くさいか、信用できるかのどちらかだ。かつて飲食店で正社員だった年下の僕を「シンさん」と呼んでいたこの男は、この日すでに「シンくん」と呼んでいた。立場という概念をやけに大事にする性分のくせに、その立場を自分の中で勝手に組み替える能力の持ち主らしい。自分が一歩でも先に何かを経験した瞬間、静かに序列を書き換える。役所の書類より手際がいい。
「しょうがないなぁ。少しなら教えてあげるよ」
たまにいる、知識を分け与えると損をすると思っているタイプだ。
大葉さんはフィリピン、タイ、オーストラリアのことを話した。ビザ、金、宿、移動。話の中身は妙に実務的で、語り口だけがどこか浮いている。生活の説明をしているはずなのに、ときどき人生論みたいな顔をする。その切り替えの雑さが、かえって一貫していて、変な人だなと思った。
最後に彼は言った。

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「旅ってのはさ、生活する場所が違うだけなんだよ。そのうちわかる」
ずいぶんと気に入っている顔だった。たぶんこの人は、この台詞を何度も言っている。
僕は「なるほど」と言った。意味はまったくわからない。だが理解していないまま頷く、という行為には、それなりの効能がある。とりあえず前に進んだ気になる。

帰り道、車を走らせながら、僕は旅先の景色を脳裏に浮かべた。
それは決してエッフェル塔でもマチュピチュでもなかった。
ごちゃごちゃした汚い商店街。ボコボコの道路。物乞いの少年。そして気性の荒そうな野良犬を見ていた。
「生活する場所が違うだけ」その言葉が、道路の継ぎ目を踏むたびに、車体の奥で小さく跳ね返りながら、しつこく頭の中に残った。
観光地でも絶景でもなく、ただの生活。知らない国の、なんでもない場所。その中に自分が紛れ込んでいるところを、なぜかはっきり想像できた。
世界が隠し持っていた「まだ舗装されていない道路」を、今度は自分の足で歩いてやるのだという、得体の知れない熱が腹の底からじわりと湧き上がってきた。しかもそれは、どこか別の場所で、誰かのどうでもいい日常を見てみたかったという、ずいぶんささやかな欲望ときれいに混ざり合っていた。
大げさな理由はない。夢も志も、たぶんない。それでも、行ってみるか、と思った。その「思った」が、これまでのどの決意よりも、少しだけ信用できる気がした。

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めんどくせえ

二〇一三年七月五日、成田空港。チェックインカウンターの列に並びながら、僕はひどく落ち着いていた。
本来なら、ここはもっと浮ついていていい場所だ。人生初のひとり旅、海外へ向かう飛行機、これから始まる何か。普通の人間なら胸の内側に小さな花火くらいは上がるはずで、国際空港というのはそういう花火を合法的に打ち上げるための装置みたいな顔をしている。だが僕の中では、火種はあるのに燃えない。湿った布にくるまれているみたいに、熱だけがやけに鈍い。興奮も不安も、寝そべった野良犬のように、こちらを見もしないでそこにいた。
落ち着きの正体は、わりとすぐにわかった。準備が終わったからだ。
旅というものは、出発する前に人間の体力と気力をだいたい食い尽くす。パスポートを取る。金をかき集める。保険に入る。荷物を詰める。部屋を引き払う。友人に別れを告げる。そういう細かい儀式が、ひとつひとつは大したことがなく見えて、全部そろうと立派に人を疲れさせる。それを一人で終えて、空港に着くころにはもう旅の半分が終わっている。
感動も興奮も、たいていは引っ越しの段ボールと一緒にどこかへ消える。だからこれは、出発というより、終わったあとの静けさに近かった。

金のことを考えると、頭の中に虫が湧く。銀色の、妙に足の多い虫だ。そいつらがカサカサと脳みその壁を這い回り、残高という名の神経をかじる。だから僕は、なるべく見ないようにしていた。見なければ存在しない。シュレディンガーの残高。箱の中の猫は死んでいない。僕の貯金も、きっと減っていない。そういう甘い哲学で生きてきた。
出発は五月と決めた。決めた瞬間から、僕はもう旅人の顔をしていた。顔だけ。中身は相変わらず家賃四万円の男である。だがその頃の僕は、金を持っていた。
直近二年のアルバイトで、なぜか正社員時代の三倍くらい稼いでしまっていた。人生のバグみたいなものだ。二十歳のときにマルチ商法に引っかかって作った借金も、そのバグで見事に消えた。壊れた計算機が、たまたま正解を出したような気持ち悪さが残る。
あの地獄みたいな飲食店を辞めて、恥を陳列したようなバンドを始めると同時に、僕は時給の高さに惹かれてデリバリーヘルスのドライバーになった。それまであまりに金がなかったせいで、金を払って処理するという発想自体がなかった僕は、その仕組みに一瞬だけ戸惑ったが、すぐに気にならなくなった。これも一種のバグだった。
そう、バグは人を狂わせる。

「これ買う。あれも買う。一応買う。念のため買う。予備として買う。全カラー買う。今日はタクシーで帰る」
僕は見事に壊れた。金の蛇口が緩んだまま閉まらなくなった水道のように、延々と金を垂れ流す装置になった。気づけば旅の準備という名目で、さらに勢いよく流し始めていた。
有名ブランドのバックパック、ニコンのカメラ、使うかどうか買う時から怪しかったトレッキングブーツ、オシャレだと思って手に入れたマックブック。
金は紙だと言うが、あれは嘘だ。僕の手元では、金は霧だった。触った瞬間に消える。霧を掴んで満足している愚か者、それが僕だ。
滞納していた税金もすべて払った。出国前にきれいな身になるつもりだった。人間は、金を払うと魂まで浄化された気分になる。
ひと通り金を使ったあと、銀行の残高を見た。見た、というより、覗いた、が正しい。井戸の底を覗き込むように、恐る恐る、顔を近づける。そこにはきっと、まだ水があるはずだと信じながら。
「なにい三十二万円だと」
声が裏返る。数字は残酷で、こちらの都合など一切聞かない。そこにあるのは三と二、三十二万。消えたゼロのぶんだけ、僕の何かも抜け落ちている。
なんということでもない。原因は単純で、僕だ。日々のどうでもいい浪費の積み重ね、その静かな終着点がこの数字だった。
ギャンブルはしない。風俗にも行かない。高尚な趣味もない。それでも金は消える。何もしていないのに失っていくという、地味で救いようのない才能だけは、どうやら持っているらしい。
そしてさらに恐ろしいことに、僕はある記憶を思い出してしまった。
車だ。車という、あの、金を吸う鉄の箱。あれのローンが、まだ終わっていない気がする。気がする、というのがまた良くない。僕の人生はだいたいこの「気がする」で構成されている。
僕は震える指でマツダのローン屋に電話をかけた。受話器の向こうには、現実という名の執行人がいる。
「残り二十九万五千円ですね」
ああ、やはり。やはりいたか、執行人。
「残り二十九万五千円ですね」
なぜ二回言うのか。僕の理解力を試しているのか、それとも僕が信じられないのか。どちらにせよ正しい判断である。
「まけてくれませんか」
言ってみただけだ。言葉というのは無料だからだ。しかし無料の言葉は、たいてい価値がない。
「残り二十九万五千円ですね」
びくともしない。岩だ。この人は岩だ。いや、岩より固いのかもしれない。岩はもう少し融通が利く。
説明が続いた。車体九十万、諸費用で百二十万、三年ローン、金利六・九パーセント、月々三万七千円、残り七ヶ月。数字が滝のように流れてくる。僕はその滝に打たれながら、心の中で静かに悟った。ああ、終わりだ。
「まとめて支払います」
気づけばそう言っていた。人間は、どうしようもない状況に追い込まれると、なぜか潔くなる。
すべてを支払った。スッキリした。ちょうど喉の奥にへばりついていた痰が取れたときのようなスッキリ感だ。達成感に似ているが、よく考えるとただ金がなくなっただけだ。
残高をもう一度見る。二万円。
「二万円でどうやって世界を回るのかな」
紙幣が数枚と、小銭が少し。これが出国前の僕の全財産だった。世界どころか、少し遠出したら終わる。これでは博多くらいまでしか行けない。
ここで普通は諦める。まともな人間なら、計画を見直し、現実と折り合いをつける。だが僕はまともではない。まともであれば、そもそもここまで追い詰められていない。
不思議と諦めるという選択肢だけが出てこなかった。理由はよく分からない。ただ、諦めるのがなんだか癪だった。
正直に言えば怖い。だが同時に、興奮もあった。自分がどこまでダメなのか、試してみたくなる。崖の縁に立って、下を覗き込むような感覚だ。
「二万円か。まあ、なんとかなるだろ」
だが、ならない。金がないなら働くしかないのだ。
「オラオラオラ金金金」
声に出してみると、少しだけ現実味が出る。金という言葉は便利で、三回くらい続けて言うと、なんとなく増えた気がする。もちろん増えない。
僕はシフトを詰め込み、とにかく働いた。いつもの送迎に加えて、自販機に缶ジュースを補充し、あやしいビルの便所の窓を磨き、墓掃除の代行もやった。左官屋の隣でただ立っているだけの仕事もあれば、用途の分からないプラスチックの部品をひたすら眺める日もあった。自分が人間なのか備品なのか、だんだん境界線が曖昧になっていく。
さらにバンドで使っていた楽器も売った。音を鳴らすための道具を、金に変える。かつてはそれで何かを表現していたつもりだったが、今はただの資産だ。いや、資産というほど立派でもない。ただの中古品だ。僕の夢に、現実的な値札がつけられただけだった。
少し寂しい気もしたが、それ以上に現実がうるさい。感傷に浸る余裕はない。僕の人生は、だいたいこうして不本意に売却されていく。
二ヶ月後には七十万円まで戻った。数字としては心もとないが、二万円から見れば大出世である。雑草が一晩で木になったような気分だ。もちろん、よく見ればただの少し大きめの雑草なのだが、その差は僕にとっては巨大だった。出発は七月に延びた。

その頃、僕は財布というものを手に入れていた。二十六歳にして、初めての財布。ちょうど人の目が気になり出す年頃だった。遅すぎる文明開化である。
それまではポケットに直接突っ込むか、ジップロックのような袋に金を入れていた。自分でもよく分からないが、それで生きてこられたのだから、人間というのは意外と適当な構造をしている。

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しかし、外側を整えると、次はその内側の問題が浮上する。
「クレカは必須だよ」と海外経験者の大葉さんは言った。
無理だろうな、と僕は思った。二十歳のときに作った借金をこの年まで引きずり、送られてくるピンク色の催告書を、コンビニのレシートくらいの気軽さで処分していた人間だ。
案の定、審査に落ちた。金融機関の門番は、僕のこれまでをすべて見透かしている。どこで何を払ってきたか、どれだけだらしなく生きてきたか、そのすべてが数字として記録されている。
そんな中、一社だけ審査が通った。僕は少し泣いた。「これで海外に行ける」と。
少しだけ浮かれた。浮かれると、人は足元を見なくなる。見なくなるから、見事に落ちる。
僕はすぐに財布を落とした。あまりにも自然な流れで、もはや芸術の域だ。手に入れて、喜んで、失う。この三段構えの滑らかさが美しかった。
せっかく作ったクレジットカードも一緒に消えた。終わった、と思った。再発行はできないと言われたからだ。住所がどうとか、よく分からない理由だった。僕は一度も使わないまま、クレジットカードと別れることになったのだ。
「バックパッカーやめます」
半分本気で、半分は期待して言った。誰かが止めてくれるのではないかと。その誰かは、もちろん旅のプロである大葉さんだ。
「あっ、ならデビットカードでいけるよ」
あっさりと道が示された。最初からそれを言え、と心の中で叫ぶ。だが人生というのは、だいたいこういうものだ。
遠回りしてから最短ルートを教えられる。しかも、もう遅いタイミングで。それでも道があるだけマシだ。
デビットカードだかレディオヘッドだかよく分からないが、VISAというマークの入った、どこか上流階級の匂いがするプラスチックのカードで航空券を買い、二〇一三年七月五日、成田からフィリピンの首都、マニラへ飛ぶことにした。大葉さんによれば、信じられないくらい安い語学学校があるらしく、そこで英語を最低限叩き込んでから旅に出るのが吉だ、とのことだった。
支払い画面の中のボタンを押すだけで、現実が一歩進む。クリックひとつで、僕の生活圏が切り離される。その軽さが、少し怖かった。
残金七十万円。この「現実」という名の重石は、相変わらず僕の胃袋を圧迫していた。
気の向くまま、地球の境目から境目へと渡り歩く。そんな高潔な放浪は、「金」という土台があって初めて成立する、最高級の幻想だ。土台のない僕には、旅の目的そのものを「労働」という呪縛にすり替えるしかなかった。旅先で、働くのだ。
ワーキングホリデーというものがある。実態はただの出稼ぎのくせに、名前だけは南国のカクテルみたいに薄甘い。ホリデーと言いながら働く。このネーミングの狂気に僕は震えた。
同時に、鋳造された自由の中でしか身動きの取れなくなった人間というものに、うっすら嫌気も差していた。
その行き先はカナダにした。理由は、ニューヨークに近いから。僕の決断なんて、だいたいがその程度の軽薄な動機で動いている。深く考えないからこそ、この泥濘から足を抜ける。その先にさらに深い沼があるかどうかは、また別の、どうしようもない話だ。

ところが、例のワーキングホリデーという名の、実態はただの海外出稼ぎ許可証、いわゆるビザが一向に届かない。フィリピンで英語を学び、アジアをうろついて、財布がスカスカになったタイミングでカナダへ乗り込み、即座に働くという僕の完璧な計画が、今まさに根底から腐敗しようとしていた。
この行き場のない怒りを、一体どこへぶつければいいのか。どこに電話をすればいいのかも判然としない。カナダ。そもそもカナダとはどこだ。本当に実在するのか。何かの概念か、あるいは壮大な嘘ではないのか。
「なんでビザ届かないんだよ。ピザならすぐ届くのに」
僕に吐き出せる精一杯の文句はこれくらいだった。準備の段階で限界が来ていたのだ。
これまで僕のしがない人生とは一切の接点がなかった「留学エージェント」なる眩しい組織へ泣きつき、カナダ大使館に問い合わせてもらう。
結果、出国のわずか一週間前に、その電子の紙切れはようやく僕のメールボックスに転がり込んできた。
ギリギリだ。吐き気がするほどにギリギリだった。いつも崖の縁まで追い詰められ、つま先が空を切る寸前になってようやく細い足場が現れる。その心臓に悪い繰り返しだけで、僕は今日まで生き長らえてきたのだ。

その頃、さらに追い打ちをかけるように厄災は続いた。
急な海外放浪宣言で人間関係は軋んだ。退去のドタバタで衣類袋を間違えてゴミと一緒に処分してしまった。期待していた敷金還付は戦った末に静かに消えた。調子に乗って買い漁った旅グッズはバックパックに収まらず返品騒ぎとなった。人妻だと知らずに付き合っていた女の旦那が、やたらと筋肉質な体で家庭訪問してきたこともあった。さらに、薬物じみた中毒性のソーシャルゲームに二十万円を吸われ、その余波でドライバーの仕事中に社員からソバットを食らい、社内で揉めたこともあった。
旅に出るだと。それどころではない。
並べてみると災難のようだが、どれもこれも僕が丁寧に踏み抜いてきた地雷だった。
「ああもう全部めんどくせえ」
そう言うと、少しだけ楽になる。めんどくさいという言葉は、世界の複雑さを一度に圧縮する。だが圧縮されたものは、いずれどこかで爆発する。たぶん、それはもうすぐだ。その前に日本を出るのだ。

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成田空港。
そもそも自分が空前絶後のアホであるから、こんな崖っぷちの事態を招くのだ。身の回りの管理、底を突く残高。自業自得という名の泥沼に首まで浸かり、無様に溺れながら、僕は必死で手足を動かしてきた。
それが今、ようやく対岸に指が掛かったのだ。 二十六歳。無職。自称バックパッカー。何ひとつ始まってなどいないはずの男が、チェックインの列という名の最後の関門で、まるで全行程を完遂した老兵のような顔をして立っている。
初めての海外、しかもひとり。底知れぬ不安に押しつぶされて当然の場面だろう。だが、僕を支配していたのは、長年の便秘が解消されたあとのような、清々しいまでの空虚な解放感だった。
一カ国目へ向かう便の、そのチェックインの列に並びながら、僕は「帰国」に似た安堵に包まれていた。
「帰国」したことないのに。