[2013年]
横浜に住んでドライバーの仕事をしながら日々ロックバンドの活動を行う典型的なカリスマフリーターだった私は、26才のある日とっさに思いつき全てを辞めてバックパッカーになってしまいました。
そのドライバーの仕事はとても良くて
- 暇な事が多い
- 月収40~50万
- 服装髪型自由 (バンドマンには超大事)
- 休みは自由に取れる (バンドマンには超大事)
という素晴らしい優良企業でした。
2年ちょっとの間バンド中心のドライバー生活をしていました。
充実していたし、お金に不自由もなかったし、思いっきり好きなことをやれていたのでこの生活をやめなくても良かったのかもしれません。
今思えば…。
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CONTENTS
とにかく退屈だったバンド生活
こだわりが強かった私は自分達の音楽をなかなか好きになれませんでした。
毎週同じ曲を同じように練習して、同じライブハウスで同じお客さんに向けて同じ歌を歌うという退屈さに嫌気がさしていたのです。
何か新しいことを!というよりは『この生活を辞めたい!』といった感じであります。
当時はまだ有吉さんがあだ名をつけまくってゲテモノ扱いされていた時代でした。
そんなある日ドライバーの仕事中に暇な時間があったので、Youtubeでなんとなく有吉さんが出ていた「電波少年」のヒッチハイクを観ていたのですが、その時ついに
『バックパッカーっていう遊び』
を思いついてしまったのです。
それまでの海外生活のイメージは「金持ちのボンボン」
過去の過去の話
それまで私は海外に行ったこともないし、旅行もしたことないし、ましてや英語なんて喋ったこともありません。
つまりバックパッカーになるために何をどうしていいのかまったく分からなかったのです。
20歳の頃一回だけチャンスがありました。
私は26歳で初めて海外に出たのですが、これはそのあとに
『もっと早く日本出てればなぁ~』と後悔しまくりタイムによく思い出す話です。
20歳の時は福岡のバーで働いていたのですが、その時の常連のお客さんがやたら海外に行って来た話をしていました。
しかも長期なのに低予算でと言われ、マジで行っちまおうかと考えていました。
とても興味がありながらも当時は今ほど情報が飛び交っている時代ではなかったので、本当に行けるのかどうかも分かりませんでした。
そんなある日、家にポスティングされていたチラシを見つけたのです。
【憧れの海外!動き出すなら今しかない!説明会のご案内はこちら】
もはやなんのこっちゃ分からんという感じでしたが、なんのこっちゃ分からんので電話をしてみました。
その時の会話
「留学ですか?行き先はお決まりですか?パスポートやビザ取得のサポートから現地でのホームステイや学校のご案内もすべてお任せください!!」
「こちらは〇〇(エージェント名)ですけれども~留学やワーキングホリデーのサポートを行っております~」
知り合いから予算20万でオーストラリアに2年住んでたって話を聞いて
自分にも出来ないかな~って思ってたんですけど…
このへんで無知の貧乏人のアホだということがバレます。
「え?(笑)20万円だと無理ですよ(笑)少なくとも300万円くらい無いと無理ですね。ちなみにどちらの国をお考えですか?」
現地で働けばお金そんなに準備しなくていいって聞いて…
「アメリカは無理ですよ~(笑)!まずワーホリがないですから!
留学だと1年で400万は必要ですよ!
無料の資料を送らせていただきたいので、ご住所の方は?」
いや、やっぱそんなにお金ないし、別に留学とか考えていないし、ワーホリ?とかもよく分からないんで大丈夫です
はぁ…
そうですか
プーップーップーップーッ…
電話を切ったあと、無知である事への恥ずかしさと自分の身分の低さと安易な考えで「とても大きいこと」をしようとしていた自分に腹が立ち、発狂しそうになりました。
自分に海外は無縁という感覚
この電話がきっかけで
上流階級一流芸能人の息子とか医者の息子みたいな人しかできないんだろう…
高卒でフリーターで借金150万のロクでもない私には縁のない話だ!!
という間違った情報が脳内にインプットされてしまいました。
今でこそネットでなんでも簡単に調べることができますが、当時は2006年。
人が話すことを100%信じていたし、情報はテレビか雑誌か本しかありません。
そもそもネットの情報なんて誰もそんなに信じていない時代です。
本当に海外に行きたかったら本屋に行ったり、経験者に会ったりしてもっと調べていたのでしょうが、なんせお金のことで諦めているのでこれ以上は前に進まないのです。
どんなにその後チャンスがあろうと『自分は金ねぇから』と、海外生活について深く知ろうとしなかったと思います。
それから6年間、実際動き出すまでの間『海外は私とは無縁だ!』と完全に一線を引いていました。
当時海外の音楽が大好きで、ファッションだったり家の電化製品やバンドで使う機材全てが海外モノでした。
とにかく海外はカッコいい!と思っていたのに凡人の私には無理!と完全に諦めてしまったのです。
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そして2013年4月試しに話を聞いてみる
有吉さんの「猿岩石のヒッチハイク」はまだ私が小学生くらいの時で、当時は「深夜特急」のドラマとかもTVでやっていてすごく楽しみに観ていた記憶があります。
それを26歳になった時に久しぶりにそれらをYouTubeで見たときに『超楽しそう!』
と素直に思いました。
やっぱり海外に行ってみたい!
こんな過酷じゃなくていいけどバックパッカー旅行をしてみたいな!
と一度諦めてから6年後に再びアツい衝動にかられてしまったのであります。
熱が冷めぬ前になんとかリアルな情報が欲しい!と思い、あらゆる人脈を探って大葉さん(仮名)という旅のプロと話すことができました。
大葉さんはオーストリアで2年、ニュージーランドで1年、その後世界一周をして帰国してきたツワモノ。
- パスポートの取り方
- ビザとは?
- おすすめの国
- お金の管理方法
- 英語の勉強の仕方
- 持ち物
など初歩的な事を全部教えてもらって、綿密な計画を立てぬままなんとなくの出発の目処をつけたのでした。
詳細はこう▼
フィリピンで格安の英語留学
↓
金なくなるまでバックパッカーの旅、行けたら世界一周
↓
途中で金なくなり次第カナダでワーホリ
↓
貯金が出来たら旅を再開
↓
あとはなるようになる
私の中では完璧なプランでしたがかなり甘かったようで、それからの海外生活に大きく響くのでした。
次回▼