旅人失格 第十二章 制御不能のまま進め、バンコクへ
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生存装置発動
対岸の町・バターワース。そこは、華やかなペナン島の残光すら届かない、静まり返った本島の玄関口。僕はここで、旅路の大きな転換点を迎えていた。
鉄道に乗る。バスを乗り継いできたマレーシア縦断の旅を締めくくり、ついにマレー鉄道で国境を越え、混沌の聖地バンコクへと攻め込むことに決めたのだ。
駅に降り立つと、そこには異様な光景が広がっていた。フェリーには僕一人しかいなかったバックパッカーが、どこからともなく地面の下から湧き出した蟻のごとく群れをなし、チケット売り場に黒山の人だかりを作っている。その行列の僕の一つ前で、一人の男が猛烈にスタッフと揉めていた。

男は、その尋常ではない毛量の眉毛を、怒れる海獣の触手の如くピクピクと波打たせ、流暢な英語でまくしたてている。どうやら、寝台列車の「下の席」と「上の席」の、わずか八リンギット、二百四十円の差額に納得がいかないらしい。
「八くらい、いいではないか」
僕が後ろで辟易していると、男は不意に振り返り、その立派なゲジマユを上下に蠢動させながら「困ったもんだぜ、まったく。なあ」といった風な、被害者の皮を被った加害者のツラを向けてくる。
ようやく僕の番が来た。
「下でお願いします」
「さっきの男で下は売り切れたよ。お前は上の席だ」
ゲジマユはニヤニヤしながら「ソーリーメーン」と、こちらの肺腑を逆撫でする軽薄な謝罪を投げつけ、勝ち誇ったような笑みを浮かべて去っていった。バックパックにカナダの国旗を縫い付けたその男を、僕は心の中で「ゲジマユカナディアン」と命名した。
出発まで二時間以上の待機時間が生まれた。日陰で飲み物を啜っていると、先ほどのゲジマユが、まるで宿敵を友と見誤ったような厚かましい笑顔で近づいてきた。
「きみは日本人か。チケットごめんね、ぬはははは」
「別にいいですよ」
「俺はね、モントリオールからクアラルンプールに降り立って、今バンコクに向かってんだよ。それはもう、壮絶な旅でね」
彼は語り始めた。腹を壊しただの、タクシーが遠回りしただの。
僕は彼の、一度も地面に置かれたことのなさそうな新品のバックパックと、不快なほどに瑞々しい肌を見て察した。
「マレーシアに来て何日目だ」
「三日目だぜ、メーン」
これはまずい。僕は本能的に身構えた。
地元からクアラルンプールに飛んで、現在地バターワース。三日間。
それはもはや壮絶な旅ではなく、ただの順調な移動に過ぎない。
子供が学校で起きた無内容な出来事を、接続詞の暴力によって永遠に話し続けるのを聞かされるようなもの。この男の口から語られるものに、たぶん価値はない。いや、あっても困る。
「ランチを食べに行くので。さいなら」
「ヘイヘイ、旅は出会いだ。話をしようぜ 、メーン」
「貴様にできる話など、せいぜい『マジ暑いよね』くらいのものだろう。僕は結構だ」
僕は、鬱陶しいゲジマユの毒牙から逃れるため、逃げるようにボロボロのローカルバスに飛び乗った。
適当な場所で降りてみると、そこは「右サイドジャングル、左サイド住宅地」という、旅行者が迷い込めば二度と現世に戻れぬような虚無の地だった。だが、あのゲジマユの「三日間の武勇伝」という名の拷問を受けるよりは、ジャングルの蛇に睨まれる方が、人道的にもマシだった。
言葉の通じない地元のおじさんに導かれ、辿り着いたのは半壊したコンクリートの食堂。そこで供されたのは、口に含んだ瞬間に「手裏剣でも食っているのか」と思うほどの激痛を伴う、超激辛カレーだった。
おじさんの分も払おうとしたが、言葉は通じず、結局僕が自分の分だけを支払って店を出た。バスに乗り込む際、おじさんは窓の外から手を合わせ、満面の笑みで「ごちそう様ポーズ」を決めて見送ってくれた。
「もしかして、言われた値段に最初から彼の分も」
おじさんの、すべてを見透かしたようなニヤリとした笑みが、去り行くバスの窓に焼き付いた。
鉄道に乗り込むと、向かいにはタイ人の家族。二十時間の長旅が始まった。
しかし、ここで予期せぬ敵が現れた。
過剰な冷房。これまでも車内が冷えることはたまにあったが、これはやり過ぎだった。
台湾で長袖という長袖をすべて捨て去った僕の装備は、ペラペラのTシャツ一枚と短パン。対して、車内は北極圏の如き冷気が、殺意を隠そうともせずに吹き荒れている。
しかしその一方で、口の中はまだ燃えていた。さきほどのカレーが、遅れてやってきた刺客のように、じわじわと存在感を主張している。冷たい空気を吸い込むたびに、なぜか辛さが増幅される。意味がわからない。体の外側は凍りつき、内側は焼けている。外も地獄、中も地獄。人間の設計というものは、こういう状況を想定していない。

途中で乗客全員が降ろされ、入国審査の列に並ぶ。
「来たぜ、タイ。五カ国目でござるな」
などという興奮は皆無。
「はぁ、外あったけえ」と、いつまでもそこにいたい気持ちだった。
夜九時。座席が魔法のように寝台へと変形する。僕の寝台は上段。エアコンの直撃を受ける、死の最前線である。
支給されたのは、薄い折りたたみマットに、ゴワゴワしたバスタオル。そしてペラペラのシーツのみ。
他の乗客たちはさも当然のようにそれを受け取り、待ってましたと言わんばかりに寝台に吸い込まれていく。
「なぜ皆、平気なのだ」
僕の体温は完全に冷え固まり、意識の混濁が始まった。
「寒すぎる」
クアラルンプールで長袖を買うタイミングなどいくらでもあった。数百円で手に入ったはずだ。それに、安宿でよく見る「ご自由にお持ちくださいボックス」のウインドブレーカー、あれをなぜ頂かなかったのか、こういう時にそんな些細な記憶が蘇る。
あと何時間だろうか。というか今何時だ。
まぶたの裏に、美しいお花畑がぼやけて見え隠れする。
おやおや、なんと美しいお花で。ポピーでございましょうか、それともアデニウムでございましょうか。名は判然といたしませんが、どうにも意識の縁をやわらかく削ってまいります。
ああ、爺様。お目にかかったこともございませんのに、こうして語りかけております。爺様はフジ家でもひときわ優秀な御方であったと伺っております。一度でよろしい、人生とは何たるや、ご教示賜りたかったものでございます。
誠に申し上げにくいのですが、爺様が命を削ってお守りになった家系、このろくでもないフナムシにて、どうやら途絶える運びとなりそうでございます。末端がこれでは、弁解のしようもございません。
どうやら私も、爺様と同じくアジアの地で眠ることとなりそうでございます。旅のつもりで参りましたのに、行き着く先が寝床とは、少々出来過ぎております。
金も子孫も、この地に残しておりませぬ。手元にございますのは、かじりかけのオレオが数枚と、生乾きのパンツ一枚ばかり。これを財産と呼ぶには、あまりにも風が通り過ぎております。
このような有様でそちらへ参るのは、いささか気が引けますが、他に持参できるものもございませぬ。せめてこの湿り気だけでも、土産としてお納めいただければと存じます。
「シン、起きなさい」
「はっ」
珍しい種類の夢を見ていた。口に出してみると、思った以上に他人事めいている。だが、体のほうは冗談を言っていない。限界が来ているのは明白である。明らかにジジイの声が聞こえた。
「いかん。こんなところで、死ねるか」
人は追い詰められると「技」に名前をつけ始める。
ついに禁忌の秘技「SSMシステム(Shin Sleeping in Malayan railways)」を発動させた。

まず、折りたたみマットを立てかけ、冷風の盾とする。枕とバックパックでそれを強固に固定。四枚のTシャツを重ね着し、胸板を偽装。最下層の一枚を頭から被りフードとし、靴下を履き、Tシャツを履いた。
見た目はもはや旅人ではない。ゴミの集積所に現れた、何かの失敗作の如き不審なオブジェ。しかし、命には代えられない。僕は、バックパックを枕に、ガタガタと震えながら朝を待った。
翌朝、カーテンを全開にして現れた乗務員の「お前、なんちゅう格好してんだよ」という嘲笑で、僕は目を覚ました。
「確認ですが、現世で間違いないでしょうか」
SSMシステムを解除する気力もなく、僕はただ、生き延びたという屈辱的な実感を噛み締めた。
列車が国境を越え、タイの領土を突き進む。
窓外の景色が、マレーシアの整然とした風景から、ゴミと野良犬と崩れかけた家々がひしめく混沌へと塗り替えられていく。
タイは、植民地支配を受けなかった誇り高き王国。
そこには、さらなる混沌が待ち受けているに違いない。
車内の冷房による頭痛を「マレーシアからの土産」として受け入れ、僕は一歩、バンコクの熱気へと踏み出した。
まずは、長袖を買おう。話はそれからだ。
自由は裏切りから始まる
プラットホームに満ちる熱気と、排気ガスの焦げたような匂いが、二十時間の冷凍保存で麻痺した僕の鼻腔を暴力的に叩く。
「まずは、まともな場所で横になりたい」
切実な願いを胸に駅の外へ出た瞬間、僕は「微笑みの国」の手荒い歓迎を受けた。
「トゥクトゥク」「トゥクトゥク」「トゥクトゥク」「トゥクトゥク」「トゥクトゥク」「トゥクトゥク」「トゥクトゥク」「トゥクトゥク」
蜂の巣を突いたような勢いで群がるドライバーたちの包囲網。睡眠不足と空腹、そして冷房の呪いによる頭痛。さらには膀胱が限界値を迎えつつある僕にとって、彼らの熱狂はただの騒音公害でしかない。
しかし、その喧騒を突き抜けて、聞き覚えのある不快な高音が鼓膜を震わせた。
「へーイ、こんなとこにいたのか、探したぜえ」
探すな、ゲジマユよ。
奴はよりによってこの混沌の最中に再臨した。僕のストレス計は、バンコクの湿度とともに臨界点に達した。
僕はトゥクトゥク軍団とゲジマユを振り切り、逃げ込むように近くの食堂へ入った。ラーメンのような麺料理を注文すると同時に、僕はトイレへと駆け込む。ようやく生理的な危機を脱した。
膀胱が静まると、世界が一段やさしくなる。人間というのは単純なものである。だが、その空白を埋めるように、別の不安がすっと入り込んできた。これは経験上、当たるやつだ。
席に戻る。
いた。
当然の顔で、ゲジマユが座っている。しかもその小動物の尻尾のような眉毛を上下に躍らせ、なぜか慈愛に満ちた笑みまで浮かべている。
「へーイ、探したぜ」
「なぜここが分かった」
僕は観念して、彼と朝食を囲む羽目になった。
「どこに泊まるの」
早朝とは思えない食欲で麺をすすりながら、ゲジマユが聞いてくる。カナダの寒さと比べれば、あの冷房など生ぬるいのだろう。むしろ快適とすら感じていたような顔だ。
「ネットで適当に予約するよ。今日はもう、まともな部屋で寝たいんだ」
するとゲジマユは、待ってましたと言わんばかりに、手垢のついた『ロンリープラネット』を机に叩きつけた。
「ダメだよそんなんじゃ。バックパッカーなら自分で歩いて、交渉して宿を探すもんだろ。俺が教えてやるよ」
見事だ。全旅人が一度は憧れ、だいたい四日目あたりで他人に説き始めるやつである。「旅の赤子」が、三カ月目の僕に向かって、旅の本質を語り始めた。
僕は一瞬、彼に経験の差という名の引導を渡してやろうかと思った。だが、やめた。こんな生活に、先輩も後輩もない。あるのは、うるさいか、静かか、それだけである。だいたい前者だ。
「わかったよ。じゃあ、ついていくから」
「別にいいけど。きみがそうしたいなら」
この男、やはり絶望的にムカつく。
ゲジマユ主導の「宿探しツアー」が始まった。
駅の近辺で探すのかと思いきや、奴はカオサンロードへ向かうと言う。もちろん、世界で最も旅人が集まる地だ。一度は行きたい。そこに異論はない。だが、今日ではない。それを説明しても、奴は聞かない。「カオサン、カオサン」と、壊れた装置のように繰り返す。憧れは、ときに人間から「他人」という概念を奪う。
駅前でタクシーを拾おうとする僕を、彼は鼻で笑って制した。
「えっ待って、笑っちゃう。旅人が何してんだよ。歩くぞ」
駅からカオサンロードまでは約三・五キロ。熱帯の炎天下、一時間はかかる距離だ。
「いや、徒歩は無理だろ。タクシーを割り勘で行こう」
「ダメダメ、もったいないよ」
なぜか正面から拒否できない己を恨む。そしてあの眉毛には人をそうさせる妙な力がある。
歩き始めて二十分。喉の渇きが限界に達した。
「水を吸わせてくれ」
そう頼むと、彼はニヤニヤしながらこちらを見下ろし、「しょうがねぇな、早くしろよ」と言う。
あれれ。立場がおかしい。
もともとは、あちらが「一緒に来てくれ」という顔をしていたはずだ。それがいつの間にか、僕が「連れて行ってください、不安なんです」と懇願する新兵のような扱いに変わっている。
気づいたときにはもう上下が固定されている。
あまりの理不尽さに、僕は一か八かのカマをかけることにした。
「もう疲れた。やはりここでタクシーを捕まえるよ」
作戦は単純だ。
去るならそれでよし。
乗ってくるならワリカンで即解決。
「共に頑張ろう」のような励ましが来るなら人間。
だが。
「タクシーに乗るだと」
ゲジマユは、まるで聖書を破り捨てた背教者を見るような目で、こちらを射抜いた。
「なぁにを馬鹿なことを言ってんだコラァ。ほら立て。さっさと歩かんかい」まさかの鬼教官型である。
僕はバンコクの路上で、カナダ産の鬼軍曹に罵倒されながら、さらに五十分、ひたすら歩かされることになった。
こうして僕は、体力と尊厳を等価交換しながら、ようやくカオサンロードへと辿り着いたのである。
カオサンは「バックパッカーの聖地」そのものだった。
だが、そこでの宿探しも苦行に満ちていた。ゲジマユは「旅人なら歩け」と豪語したくせに、いざ宿の看板を見つけると、眉毛を不安げに揺らす。
「あそこにゲストハウスって書いてある。行こう」
僕はもう安ければどこでもよかった。
「ん、ちょっと待て。(ガイドブックをペラペラ)うん、載ってないな。やめとこう」
「じゃあ、あそこは」
「うん、きみ、一泊の値段聞いてきてくれないか」
さっきの威勢はどこへ消えたのか。彼は「旅の玄人」を気取っているが、実は現地人との交渉にビビっているのだ。
結局、僕がレセプションへ交渉に行き、彼が外で眉毛を整えて待つという、パシリ同然の状態が続いた。

ようやく彼が「ここだ」と指差したのは、ガイドブックに載っている、僕が最初に見つけた宿よりわずか十バーツ、二十六円だけ安い、窓もない激狭の独房。
「どうだ、安いだろ」
誇らしげなゲジマユ。僕はもう、彼と議論する気力すら残っておらず、その潰れたベッドに身を投げ出し、死んだように眠った。
翌朝、午前七時。
僕は静かに、しかし決然と荷物をまとめた。
このまま彼と一緒にいては、僕の旅は「ゲジマユの、ゲジマユによる、ゲジマユのための修行」に成り果ててしまう。
僕は早すぎるチェックアウトを試みたが、運命の悪戯か、すでに一階のカフェで彼が朝食を食べていた。
捕まった。僕は逃亡の機会を伺いながら、彼とコーヒーを啜った。
「この宿、良くないから移ろうかな」移動を仄めかす。
「そうだね、俺もあとで荷物取ってくるよ」
なぜそうなる。逃げられないのか。
絶望が喉元まで迫ったその時、旅の神が微笑んだ。
「ちょっとトイレ」
ゲジマユは寝癖のついた眉毛をピクリと上げて、席を立った。
今だ。
僕は音を立てずに立ち上がり、バックパックを担いで宿を飛び出した。
あてもない。ただ歩く。カオサンの西の端から東の端まで、意味もなく歩く。頭の中では「Born Slippy」が爆音で鳴り響いている。
これでいい。これでいい。
友を裏切ったかもしれない。だが、あんな退屈に付き合うくらいなら、こちらのほうがまだましだ。自由とは、たぶんこういうものだ。少なくとも、そういうことにしておく。
僕は喋り続ける。頭の中で、ひとりで、延々と。初めて来たはずのバンコクの街並みには、一切目もくれない。ただ前だけを見て、ひたすら歩き続けた。
なぜ裏切った。
まあ、もともとろくな人間ではない。
だが、これで変わることにする。たぶん。
カオサンの雑踏の中、僕は初めて前を向いた。
頭痛はまだ消えないが、ポケットから「パーラの石」を取り出して通りのごみ溜めに投げ捨てた。問題は石ではなかった気もするが。
さらばゲジマユ。
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試練のアユタヤ
カオサンロードの喧騒から逃れ、辿り着いた『ハロー・ホステル』。入り口の屋台で供される、脳が痺れるほど甘いアイスコーヒーと、「朝からチェックインOK」という慈悲深い一言が、満身創痍の僕を救い上げたのである。
ベッドに倒れ込み、天井の染みを眺めていて、ふと気づく。僕は、この一ヶ月で一体どれほどの距離を移動してきたのか。バギオから始まり、台湾、シンガポール、マレーシア。地図をなぞれば、そこには正気の沙汰とは思えない血迷ったジグザグの軌跡が描かれている。
「そりゃあ、しんどいわけですな」
実際は前日に、ゲジマユに長距離を歩かされたのが原因だが、ここらで休もうと僕は思った。
本来海外旅行というものは、「休み」をとってやるものなのに、そこにまた休みを入れるなんて、どうかしてる。
と思いながら休んだ。
セブ島で再会を誓ったサラガミとパツコが二日後に到着する。
それまで僕は自らを「無」に捧げることに決めた。一バーツ=二・六円。朝のコーヒーから夜のビール三本まで、贅を尽くしても一日の総支出は千円に満たない。金銭的プレッシャーが蒸発し、代わりにぬるま湯のような安らぎが全身を浸す。もはや僕は人間ではなく、カオサンの熱気に溶け出す一塊のゼリー。だが三日目の朝、僕は唐突に「飽きた」と叫び、カオサンロードの最西端、バーガーキングへ向かった。
そこには、約束通りサラガミとパツコの姿があった。
「よくぞお互い、生きてここまで」
視線で戦友の無事を確認し合う。

サラガミとパツコという、見るからに清潔の権化、あるいは洗髪料の広告から抜け出してきたような、バックパッカーとしては不自然なまでに美しい髪の男女と再会を果たした僕は、その場の気流に身を任せることにした。
「一緒にどこか旅行しよう」 という話になったのである。
バックパッカーという肩書きは、時として世間から「歩く百科事典」のような期待を抱かせるが、僕の内実は空洞であった。観光地の知識も、目的地の情報も、僕の脳内には一滴も貯蔵されていない。知識の欠如を隠すこともせず、僕は彼ら二人の差配にすべてを委ねる。

「カンボジアには絶対行くんだけど、その前にアユタヤへ行こうよ。バンコクからも近いし」 パツコが事も無げに提案した。
「そうだね、一泊あれば十分じゃないか」
サラガミが、いかにも一泊の価値を計量し終えたような顔で応じた。
「だね。それでまた、バンコクに戻ってくればいい」
二人の会話は淀みなく、まるで高級な絹糸が滑るように流れていく。
僕はといえば、その流れに浮かぶ汚い木っ端のような顔で頷く。
「うんうん、アユタヤ。アユタヤだね」
アユタヤ。それが人の名なのか、あるいはタイの果実の名なのか、僕には一切の見当がつかなかったが、とりあえずその語感を愛でるように繰り返した。
「アユタヤってのは、あれだよ」 パツコが、記憶の引き出しを乱暴に開けるような仕草で言った。 「日本でいう県みたいなもんで、昔、ミャンマーかどっかの連中にこっぴどくボコボコにされて、大都市の残骸が散らばってる場所のこと。今はユネスコとかいう権威が、世界遺産だなんだと有り難がってハンコを押してるらしい」
僕はそれを、神託のように聞いた。
僕らが今いるバンコクは、東南アジア旅行の心臓部、というよりは巨大な胃袋だ。人々はとりあえずバンコクに飲み込まれ、事あるごとにここへ逆流してくる。どこへ向かうにせよ、この町を通らねば話が始まらない。 特にカオサンという場所は、漂流する旅行者たちの吹き溜まりであり、それゆえに過剰なまでの情報と欲望が沈殿している。
僕たちも同じように、翌朝からアユタヤへ向かい一泊し、一度バンコクへ逆流した後、カンボジアのアンコールワットへと漂流する。
僕の無知という深淵を抱えたまま、計画という名の泥舟は静かに出港したのである。
翌朝、僕たちはホワランポーン駅へと向かった。ゲジマユと一時間かけて歩いた呪いの道程も、タクシーを使えばわずか十五分。文明の利器とは、かくも残酷で美しい。しかも涼しい。
乗り込んだのは、車両自体がすでに世界遺産ではないかと疑いたくなるほどボロい列車であった。冷房などという軟弱な装置はなく、熱風に吹かれること二時間。僕たちは古都アユタヤへと降り立ったのである。
宿探しを疎かにした罰は、すぐに下った。駅前のホテルに安直に拠点を構えたが、前日の豪雨で川の水位が増し、中心地への渡し舟が欠航。僕たちは、迂回路の橋を自力で渡るという無駄な苦行を強いられることになった。
「もうこうなったら、チャリだ」
サラガミが叫ぶ。
ホテルのレンタル自転車は、どこからかかき集めてきたようなバラエティに富んだ五台のみ。そこから「マシな三台」を絞り込み、僕たちは血で血を洗うジャンケンに挑んだ。
一等賞:中学登校用・ギア付き(日本製)
二等賞:奥様御用達・ママチャリ(日本製)
三等賞:産地不明・フランス映画風(誰も観たことはないがそういう顔をしている)

結果は、サラガミが一等、僕が二等。しかし、三等のサドルが錆びて固定され、背の低いパツコが乗れないという不測の事態が発生。
「真剣勝負だから」
一等のギア付きを譲らないサラガミの非情な一言により、僕は「フランス映画」という名の、ギアなし、異音ありの鉄屑に跨ることになった。
広い。暑い。そして、逃げ場がない。
排気ガスと未舗装のガタガタ道を、ギアなしの鉄屑で漕ぎ進める。もはやこれは観光ではなく、己の限界を試す苦行(トレーニング)である。

汗だくで辿り着いた『ワット・マハタート』。木の根に取り込まれた仏像の顔を眺め、僕は己のちっぽけさを痛感した。十七世紀、ミャンマー軍に首を切り落とされた仏像たちの悲劇。それが今、この愚かな僕に、あの時の群馬の神の言葉を呼び覚ます。
「知ること、興味を持つことが大事だ」
だが、そんな哲学的な感傷は、突如現れた日本人ツアー客の「涼しい顔」によって粉砕された。大型バスからゾロゾロと降りてくる、汗ひとつかいていない人々。金に物を言わせ、エアコンとガイドを駆使する彼ら「スーツケーサー」である。
「なにここ暑すぎ」「はやくホテルに戻りたい」「日焼けするくらいなら日本に帰りたい」などの贅沢な愚痴が、僕の耳を汚す。我々を見た後に、急に言い出したのが引っかかる。
「日本も暑いですよ、皆さん」と、言いたかった。
そのとき、ふと思い出した。
北海道の人間が「ゴキブリ、見たことなーい」と言っていたことを。
あたかも、「そんなものが出る土地で暮らしている人間とは違う」とでも言いたげな口ぶりだったが、実際のところ、札幌にも普通にいる。
つまり彼らは、「いない場所にいる」のではなく、「見なくて済む場所にいる」だけなのだ。
そして、たぶん。
彼らにとってのゴキブリは、僕なのだろう。
汗にまみれて、くたびれた格好で、こんな場所をうろついている人間。視界の端にちらりと入って、すぐに目を逸らされる存在。
見たくはないが、どこかにいるのは知っている。
だから彼らは、「ここ、暑すぎる」と言う。
この場所そのものに向けているようでいて、実際には、そこにいる「何か」ごと拒絶している。
「あんなの、金がもったいない。自分たちで歩くほうが絶対楽しい」
「そうだそうだ」
サラガミが続く。
僕たちは、惨めさを認められない貧乏バックパッカー特有の虚勢を吐き散らした。
横で「いいなぁ」という顔をしていたパツコと、サラガミが後にこの件で軽く揉めることになるのは、また別の話である。
翌日。全身を突き抜ける筋肉痛とともに、再びボロい列車でバンコクへ戻る。
パーラの石を捨て、友を得て、カオサンの雨に踊った旅の第二章は、アユタヤの土とともに、確かな重みを増していた。
次は、カンボジア。
そこには、さらなる巨大な「石」が待ち構えていることを、僕はまだ知らない。